2016/03/11(金) 00:34|震災

5年

 ブログの更新がすっかり滞っていてすみません。

 1月にパレスチナ・オリーブのFacebookを始めて、週に1回くらい投稿しています。

 いま、5年前のブログを読み返してしまいました。いろいろな思いがよぎります。けっこう頑張って書いていたんだな、と思いました。5年たっても全然変わっていない状況もあります。「羊羹が嬉しかった」とブログに書いたら、皆さんからたくさん和菓子が送られてきたことは、懐かしい思い出です。

 この5年間、本当にみなさんに支えられてここまできました。どうもありがとうございます。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=84


2013/07/25(木) 11:51|震災

宮城情報を得るには(1)

 甲府での生活にも慣れ、仕事も落ち着き、仙台の友人たちが恋しい今日この頃(ときどき仙台に帰っています)。仙台の涼しさもなつかしい。甲府は仙台より常に10℃気温が高いです、、、。それは、さておき。
 宮城情報を得るには、、、河北新報を読もう、です。

 宮城の地元紙である河北新報を郵送で購読しています(記事内容の範囲は東北全体です)。2日遅れになるし、郵送代金がかかって高くなるので、最初は迷ったのですが。全国紙ではあまりに震災情報がないし、河北新報のサイトでは情報が探しにくいので、新聞を取ることにしたのです。
 河北新報では、今回の参議院議員選挙において、震災のことは全国問題ではなく地域課題になってしまったようだ、と書いていました。私も全くその通りだと思いました。
 例えば、巨大防潮堤問題。地元のほとんどが反対なのに国の方針で、いまどんどんとつくられています(自治体も反対だけれど、防潮堤ができないと、その他の復旧・復興も進められないしくみなので、強く反対できないそうです)。海が見えなくなる、高くて幅広い防潮堤。それを作るより高台への道を整備した方がいいんじゃないの?という、まっとうな意見は宙に消えていきます。
 例えば、資材不足・人手不足でコストが増加、なかなかインフラや建物の修復・建設が進まないのに、働く人の賃金はあがっていない問題。「日建連(日本建設業連合会)は中長期的対策として、5次、6次下請けのケースもあるとされる縦走下請け構造が職人の賃金低下を招いていると分析。こうした構造の簡素化に本腰を入れ、5年後をめどに可能な限り、2次下請けまでに整理する方針だ」(7月19日の河北新報より)。5年後って気の長過ぎる話で驚きました。

 こういうことが選挙の争点になったとは聞きませんが、これは地域の課題なのでしょうか?
 以下のような理不尽な話も枚挙にいとまがありません。

 岩手、福島では被災者の医療費免除が延長されたのに、宮城県だけが2013年3月末で打ち切られました。理由は「被害が大きすぎて、被災者が多いから」。これには、気仙沼や山元町など、津波被災地の友人たちがうなっていました。震災前は高齢でも元気に暮らしていた親が、家を流されて仮設やみなし仮設に入ってから入退院を繰り返す、というような話は身近にも聞くのです。

 東日本大震災の津波で浸水した病院には移転再建支援がない。ところが、南海トラフによる巨大地震対策では、学校や病院の移転を支援する。→詳しくはこちら:医療・介護 施設の人手不足深刻

 これらのことは、全国の皆さんも知っていることなのでしょうか?
 選挙では、話題になっていましたか?
 悔しいし、何もできない自分が腹立たしいです。でも、知らないのは嫌だから、新聞を読んでいます。
 ただ、明るい復興話だけが伝わるのが嫌で、つい「問題」ばかり書いてしまっていますが、誰にでもどこにでも、悲喜こもごもの毎日の暮らしがあるのは言うまでもありません。

 選挙前の特集記事を少し紹介します。
(長期連載中の「神話の果てに 東北から問う原子力」も力作です。)

災後の課題 地域は問う(2)原発事故の影/動き鈍い国 募る不満(7.16)

復興と政治−遠景・近景 まちづくり予算 時間と査定、二つの壁(7.17)

復興と政治−遠景・近景 水産業 再起遮る縦割り行政(7.16)

復興と政治−遠景・近景 医療・介護 施設の人手不足深刻(7.14) 

復興と政治−遠景・近景 農の未来 大区画、個人置き去り(7.12)

復興と政治−遠景・近景 原発自主避難者 乏しい支援、遠い帰還(7.10)

復興と政治−遠景・近景 働く場 「普通の仕事」どこに(7.9)

復興と政治−遠景・近景 住まい 届かない再建支援策(7.6)
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=64


2013/04/23(火) 22:44|震災

それぞれの選択鵺(「てとてと春2013」)

 大好評だった『てとてと秋2012』から半年。『てとてと春2013』ができました。
 今回は「それぞれの選択鵺」として、農家さん、パン屋さん、陶芸家さんなど、宮城県の各地で、放射能に向き合いながら生業を続けている皆さん、移住して再スタートした皆さんの声が寄せられています。一人一人の人たちが、具体的に何を考え、どう対応して暮らしているのか。それをぜひ、知って頂きたいと思います。故郷を離れた人だけ生活が一変したのではないのです。残った人たちも、とくに、自然に添った暮らしをしていた人ほど、原発事故後は、同じ場所に暮らしながら、今までとは違う生活、対応をせざるえないのです。そして、それは毎日のことであり、これからもずっと続くことです。

 印象的だった、最初の農家さんの言葉をいくつか抜粋します。
(部分抜粋ですから、意図がずれて伝わる可能性もあります。ぜひ、お買い求めになって記事全体をお読み下さい)

「事故の後、ハウスのほうれん草を急いで出荷したんだ。危ないかもしれないと思ったけど測れないし、どうしようかと思ったけど、きれいごとは言っていられなくてさ。生活が懸かっているから出すしかなかったんだ。心の中がとんでもなかった。測りもしていないのにだしているってことが苦しかったなぁ。その代わりどんなこどがあっても露地のほうれん草は出さないって。アスパラは自分ちで取れたものだからうちでは少し食べたけど、出荷はしないで捨てた。市場は出荷停止になっていないから出荷はできたと思うけど、『出せないもんは出せない』、これは直感」
「周りの人たちは気にせずやっているけど、作れる人間と俺みたいに作れない人間といるんだ。農地の状態を見て納得しないうちはできないって思った。ハウス栽培は変わらずにやっているけれど、もしハウスの中も汚染されたら農業はあきらめるかなって思ってた」
「最初は怖くて測れなかったんだ。野菜から調べられなかったもん。ここなら低いだろうと思える場所の土から調べた。受け止められないから自分を慣らすために。だんだん近付いて途中で野菜を測って下限値以下なのを確認してから『ここは高いだろう』というところを測った」

 他の農家さんはこう書いています。
「震災から2年経っての今の心境は、、、。苦悩するチカラを試され続けているということ」
「現状としてはまったく対応は追いついていないし、結果的には難しいしわからないことばかりです。認めたくない心情もあって酒へ逃げる時も多々あります。」

 ぐたぐだな気持ちは文章にならないから、皆さんきちんと書かれていますが。誰も正解を持っている訳でもなければ、割り切れている訳でもありません。文章に書けないこともあるのだろうと想像していただきながら、宮城の現状の一端をぜひお読み下さい。
(私自身は「てとてと」のメンバーではありません。勝手に宣伝係?です。)

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みんなの放射能測定室「てとてと」の通信 『てとてと春 2013』
(1冊 500 円:A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 30 頁フルカラー)
【内容】
○表紙 ---- 写真 : 山中環 /詩 : 三田さえ子 ( てとてと )「かみさまは」
○コラム ---- 素朴料理研究会 : 原田明子 ( てとてと ) 
○日々多感 - 測定室から 
  • 測定室より新企画のご案内と今後の活動についてのご報告 : 北林康
  • みんなの「てとてと」であり続けるために : 杉山仁子
  • 土壌測定から見えてきたもの : 北村保
○特集 それぞれの選択 II~いのちの世界からいただき続けるために 
  • ここで生きる だから測る : 村田町 岡崎秀夫
  • もっと大事なものは : 角田市 佐藤準一 
  • 前を向いて生きよう ! 宮崎県へ移住 : 匿名希望
  • それでも、人生にイエスという : 名取市 三浦隆弘
  • 見えない雲の下で : 角田市 陶芸家 池田匡優
  • 未来からのまなざし : 宮城県北部 木村さゆり
  • ひっぽのはじめの一歩 ~ 未来に向かって ~: 丸森町 吉澤武志
○てとてと勉強会だより 三田常義/さえ子(てとてと)
○うた「あたし みーにゃん」: しょんつぁん ( てとてと )
○ご報告とお願い : 事務局/編集後記 : 通信班 
○裏表紙 - 夢をみることを思い出した : すみやのくらし : 佐藤光夫/円 ( てとてと )

 みんなの放射線測定室「てとてと」の第三号となる通信「てとてと春 2013」ができあがりました。 前号の「てとてと秋」では「それぞれの選択 今 そしてこれからをたいせつに生きるために」という 特集を組み、3・11 以降、移住、避難、この地に残ることを選択した方々に文章を寄せていただきました。
 「原発事故でこんな大変なことになっているなんて」、「ひとつの正解で片づけられるようなことが起 きているのではない、ということを深いところで気づけた」そして、「そもそも何のためにこうした状 況が起きたのか、目をそらしてはいけないと思った」・・・など、たくさんの声が「てとてと」に届け られました。販売にご協力いただいた方々に心から感謝しています。
 今号では「それぞれの選択II いのちの世界からいただき続けるために」という特集を組み、土に、 山に、田畑で取れる作物に深くつながって暮らしてきた 7 名の方に執筆をお願いしました。食べ物だ けではありません。水も空気もエネルギーも何もかもが自然界からのいただきものです。原発事故で 自然界が汚染されても、それでも、私たち「人間」は、自然界からいただき続けなければ生きていけ ないのです。執筆者の方々も私たちも迷いながら手探りで歩んでいます。このところ盛んにあちこち で目にする「風化」という言葉。放射能汚染のただなかで暮らす人たちは、忘れてしまいたくて「風化」 を口にし、放射能から遠く離れて暮らす方々は忘れてしまっている自分を許すために、社会全体が「風 化」したことにしているのではないか・・・。  一人一人の方が、福島原発事故で起こったこと、それがもたらしたことに思いを運んでくださった なら、きっと変わっていける。どうか執筆者の方々の言葉があなたの胸に届いてくれますように。  なお、売上金はてとてとの活動費にあてさせていただきます。販売にご協力をいただけると嬉しい です。
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【ご購入方法】
  • 冊数、送り先を書いて「てとてと」にご注文ください。電話、FAX、メールのいずれでもかまいません。
  • 送料はご負担いただきますが、10冊以上は送料無料になります。
  • お支払いは後払いです。冊子に郵便払込用紙を同封します。( 振込み手数料はお客様負担になります )
  • バックナンバー『てとてと春 2012』(A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 20 頁フルカラー :2012 年 4 月発行 :300 円 )、  『てとてと秋 2012』(A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 38 頁フルカラー :2012 年 10 月発行 500 円 )  も在庫ございます。
  • 販売していただける取扱店なども募集中です。( 詳細は直接ご相談下さい )
  • 詳しくは、「てとてと」まで。
〒 989-1241 宮城県柴田郡大河原町字町 200
TEL&FAX 0224-86-3135
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2013/04/23(火) 20:37|震災

甲府から近況

  4月1日に仙台から甲府に引越して来てあっという間に3週間が経ちました。
 皆さんご心配してくださっているようなので(どうもありがとうございます)、簡単に近況報告です。

 新事務所は、いま、オリーブオイルが山積みです。私は段ボールの壁の向こうでパソコンに向かっているので外から見えません! 新スタッフの井上が、入り口近くのわずかなスペースで、検品、荷造りの作業を行っています。パレスチナ・オリーブで働くため、東京から甲府に引越して来てくれました。パレスチナとのかかわりなど、次号、『ぜいとぅーん』で自己紹介してもらう予定なので、お楽しみに!
 新シーズンのオリーブオイルが入荷し、ご予約順に発送中です。今回のオリーブオイルはフルーティーで濃厚、まろやか。ここ何年かで一番の美味しさではないかと思っています。4月27日(土)、28日(日)には、二子玉川でのOLIVE JAPANに参加します。こういった商業ベースのイベントに出るのは初めてですが、生産者団体「ガリラヤのシンディアナ」から、このオリーブオイルコンテストにオリーブオイルを出品したいという話があって、私たちもマルシェに出店することにしました。上位に入賞して注目されたらどうしよう、と心配しています、、、?!

 引越でお疲れでしょう、、、という暖かいお言葉もたくさん頂きました。
 最近、体がとても軽くなり、今日、はたと、「震災以来、初めて、きちんと睡眠を取っている」ということに気がつきました。
 仙台でも、疲れ果てて風邪引いて一日ダウンとか、パレスチナから帰って来た直後に20時間連続で寝た、とかはあったのですが。疲れが取れた感じはなく、そして、二日以上連続で睡眠時間を十分取る余裕は、2年間ありませんでした(たんに夜型生活を直せず、ずるずる過ごしていたとも言えますが)。
 これが、被災地から離れて暮らすということなのでしょうか。
 余震のほとんどない場所で。震災のかけらも感じない、美しい山並みが見える穏やかな春の日々。息子とキャッチボールをして、腕が筋肉痛、、、。
 気持ちの方はラクでもあり、ホームシックの気持ちもあり、です。私は出身・実家は新潟ですが、仙台に住んで約20年で震災に遭いました。震災後に急に東北人アイデンティティが生まれた感じです(自分でもインチキっぽいなあと思いますが、アイデンティティって何かあったときに芽生える、気がつくものですよね)。仙台大好き!ではなかったけれど(ごめんなさい)、仙台・宮城は大好きな友人・知人・仲間がたくさんいるところ、です。
 市外局番の022をつけないで仙台に電話をしてしまって(しかも何度も)、寂しい気持ちになったり。毎朝、河北新報をネットで見ていたり(でも、ネットには全部は載らないので、仙台の友人に後日まとめて河北新報を送ってもらっています)。

 新聞などの報道によれば、震災から2年経ってのアンケート等で数字に表れているものだけでも、精神的な疲れやストレスが増しています。アルコール依存、飲酒事故、鬱など精神疾患による公務員の休職、仮設住宅での精神疾患の危険、DVや児童虐待、、、の増加。
 震災から数年後が一番きつい、とよく言われます。私は、震災直後に(数ヶ月は震災真っ最中の気持ちでしたし)「いまだって十分大変だよ!」と思いましたが。辛い出来事から2年な訳ではなく、震災当日のことだけでも十分辛い人が多いだろうに、震災による辛いことは日々続いていて、それを一つ一つ乗り越えて毎日生きていかなければいけない、その疲れがたまってくるのだと思います。地震も津波も原発事故も、です。理不尽なことは、原発事故だけでなく、地震・津波の被害への対応でもたくさん(対応しきれないほど)起きています。こんなことを書いていると、「まだ震災とか言ってるの?」なんて思う人がいたりするのかな、とも思います。でも、20年たっても30年たっても、震災で変わってしまったものは戻ってこないだろうし、思い出したら辛い、という人もいると思うのです。励ましでも「そんなことばっかり言っていないで、もっと前向きに」なんて言葉はかけてはいけないのだろうと思います(私が言われた訳じゃないです)。
 だからと言って、みんなが毎日、陰鬱に暮らしている訳ではありません。それは、パレスチナの人が毎日嘆いて暮らしている訳ではないのと同じだと思います。そこにも、楽しい毎日の暮らしがあります。私も、です。

 移転手続き関係を含めあれこれ仕事が滞り、あちこちご迷惑もかけているので、よく寝たと大きな声では言えませんが。ちょっと、ねじ巻いて行きます! これから、仙台・宮城のみんなと、どう一緒にやっていくか、何ができるか。改めて考え中です。山梨県、そしてお隣の長野県の皆さんとのつながりも少しずつできてきています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=59


2013/03/02(土) 00:08|震災

仙台・宮城の状況2013(放射能関連)

 ブログをさぼりすぎて、何から書いてよいやら、、、ですが、おおよそ時系列で書きます。

 1月5日だったか、パレスチナから仙台に帰って来て、新聞(河北新報)で最初に目についたのは「福島第一原発の汚染水が満杯」という記事。アナザーワールドに帰ってきてしまったなあと思いました。パレスチナから仙台に帰って来たのに「非日常な世界」に帰って来たという思い。パレスチナも、占領が日常となった、イスラエル(軍)によるコントロールが完成されてしまった「非日常が日常になってしまった世界」なのに。もちろん、パレスチナにも仙台にも、ご飯食べて学校や仕事に行って、洗濯して掃除して、、という当たり前の暮らしが同時にあるわけですが。
 ちなみに、河北新報の2013年1月1日の社説は、村雲司さんの『阿武隈共和国独立宣言』(現代書館)の紹介で始まりました。『阿武隈共和国独立宣言』の中では、2013年3月11日、放射能に汚染された村の老人たちが国と刺し違える覚悟で独立を宣言します。社説の後半から2ヶ所抜粋します。
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 沖縄では一向に解決しない基地問題へのいら立ちから、「沖縄への差別」と指摘する人が増えている。
 宮里政玄琉球大名誉教授は差別の根底に「最大多数の最大幸福を目指し、人口の少ないところ、経済的に弱いところに犠牲を強いる功利主義がある」と指摘。原発にも同じ構造を見て取る。
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「阿武隈村」の独立を荒唐無稽と切って捨てることは簡単だが、東北の位置付けを変えずして、どんな復興策も未来を照らし出すことはない。
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 河北の社説だけでなく。この2年、何度か友人たちと「みちのく独立国(独立党)」の話をしました。私たち、核(放射性物質)武装できるんだ、、、というのは、本を読むまで気がつきませんでしたが(そして、こういうことネット上で書くと逮捕されてしまう時代なんでしょうか。いや、やりませんよ、、、というか、できません)。前置き終わります!

(1)「てとてと」
 宮城県南部にある「みんなの放射線測定室 てとてと」。そのメンバーである三田さんのインタヴューが「宮城の新聞」に載りました(2012年12月25日公開)。「農家による民間放射線測定施設、立ち上げから1周年」という記事ですが、これまで有機農業に取り組んできた三田さんのスタンス、事故後の宮城のことなど、まとまってわかりやすくオススメです。

 1月20日にてとてとの主催で、『内部被ばくを生き抜く』上映とお茶っこのみのみ交流会がありました。
 てとてと運営委員の皆さん手作りスイーツが美味しかった〜というのはさておき。私は「保養コーナー」を担当しました。何組かのみなさんと一緒に、ゆっくり保養・移住情報を話せて良かったです。皆さん、具体的に情報を探していらっしゃいましたし、資料を持ち帰ってくださいました。
 そして、「でも、誰もほよ〜ん相談会のサイトを知らなかった」と報告したら、てとてと子どもみやぎなどのサイトに「ほよ〜ん相談会」「ソカイノワ」「うけいれ全国」のリンクを貼ってくれました。とても嬉しかったです。ネットを使う人には便利な一覧です。

 さらに。大反響だった「てとてと秋2012」に続いて、いま「てとてと春2013」が鋭意、編集中となっています! 宮城の各地で工夫しながら生業を続けている皆さん、移住して再スタートした皆さんの声が集まっています。3月下旬に発行したらまたお知らせします。


(2)おとのわ
 2月3日に行われた「おとのわ」は今年も大盛況に終わりました。入場者はおそらく400人+子ども100人以上。この人数であたたかな空間・時間をつくってしまうのが何よりすごいです。
 『おとのわ』は、 東北から子ども達の安全な未来とあたらしい暮し方を自分たちの手で育み、発信していけるよう音楽をエネルギーに、歌い、踊り、つながり合う場。本当に手作りのイベントですが、ライブあり(おとのわ)、トークあり(かたりのわ)、カフェあり(おいしいわ)、ショップあり(もののわ)、ワークショップあり(つくるわ)、情報コーナーあり(おしらせのわ)、子どもの広場あり(こどものわ)、、、、真冬の村祭り。
 おとのわの中心スタッフで「book cafe火星の庭」の前野久美子さんが「おとのわ」への思いを書いています。

 せんだいコミュニティカフェt,able(タブレ)は「もののわ」ブースとして参加し、雑貨やCD、古本、被災地支援として作られた商品、沖縄・伊江島から届いた「はなつちの会」のお野菜とみんなの放射線測定室「てとてと」で計測し不検出の三田さんのお野菜、そして昨年に続き人参ジュースなどなどメンバーに関わりがある品々を販売しました。→おとのわでの紹介はこちら、コミカフェのブログでの報告はこちらです。

 そして、私は、今回「おしらせのわ」を担当しました。放射能についての情報(宮城県内の活動と、県外の保養など支援関連、福島の情報)/震災支援についての情報(手仕事支援など)/「食」についての情報(自然食品店やナチュラル系のカフェなどお店の紹介)/イベント、アートの情報(映画、演劇、音楽、展覧会など)/沖縄についての情報/もののわ出店者の情報など。
 放射能に関心がある人はもう少ないかも、、、と思い、チラシを頼んだ方には「20〜30部で十分だと思います」なんて言ってしまっていたのですが、とんでもない見込み違いでした。
 宮城県内の活動情報も、県外の保養支援や、原子力資料情報室や「ふぇみん」の若干固そうな資料も、仙台市の自然食品店やナチュラルカフェのチラシも、あっと言う間になくなりました(残念ながら、食にも放射能にも関係なさそうなチラシは減りませんでした)。
 まだまだ情報を欲しい人がいるんだ、一般になかなか話題に上らなくなってきているからこそ情報が欲しいのかも、普段は子どももいて気にはなっているけど自分であれこれ調べるところまで余裕がない人がもらってくれたんだろうか、、、などといろいろ思いました。
 JANICの福島事務所で働く友人からあれこれから送ってもらった、福島各地の通信などもファイルにしたのですが、これも多くの方が見てくださいました。放射能測定室の結果一覧を見ていた方もいらっしゃいました。
 「おしらせのわ」では、長机3つに置いたたくさんのチラシの間に、宮城県南部の角田市に住む山中環さんの写真を飾らせて頂きました。それで、とっても素敵な雰囲気になったと思います。この後、山中さんは「てとてと」でも写真展を行いました(本職は石の彫刻家さんです)。No Nukes Photoは印刷自由だそうです。ぜひご覧になりご活用下さい! 私も、ひな祭りトーク&ウォークに持って行こうかな、、、。

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(3)汚染牧草・稲わら・ほだ木の焼却
 2月13日の新聞で「宮城県は12日、福島第1原発事故で放射性物質に汚染された牧草や稲わらなどの処理方針を固めた。牧草は市町村が一般廃棄物として焼却処理することを明記した。」という記事を目にして、衝撃を受けました。8000ベクレル(以下)のものを燃やすなんて信じられない、、、。毎日、対応しきれないたくさんのことがあってたいていのことには(よくないことに)まひしているのですが、愕然としました。

*ちなみに汚染拡散として各地で焼却が問題となっている「がれき」はキロあたり100ベクレル以下の汚染です。拡散には反対していますが、桁の違う話。「がれき」も毎日、仙台・宮城で燃やされ続けていますが、、、。

 でも、各農家や各畜産農家での保管が限界だったのは分かっていたこと(覆っているビニルシートが破け始めたりしているそうです)。岩手県では既に汚染牧草の焼却が始まっています。代替案が必要です。
 記事によれば、「国の基準(1キログラム当たり8000ベクレル)を超える「指定廃棄物」を除く県内の汚染牧草は4万1000トン」「汚染されたほだ木(2万9000トン)も市町村が焼却処理することとした」「汚染稲わら(4800トン)は焼却した場合、8000ベクレルを上回る可能性が高いため、基準以下の稲わらを含め、国が今後建設する指定廃棄物の最終処分場への埋め立てを要望していく」、、、。

 26日に、県内の18団体の連名で、宮城県に申し入れが行われました。まずは説明を求める申し入れです。とにかく、これからです。
 放射性物質の(再)拡散だけでなく、焼却場で働く人の被ばくは防ごうと努力されるのだろうか、健康調査はされるのだろうか、そういうことも個人的には心配です。

 こんなことずっと続くんでしょうか(続くんでしょう)。「もう放射能は飽きた〜。他のこと話したい〜」こんな声多数! でも、取り組んでいくしかないのを知っています。
 こんなことを書いていると、宮城でまだまだやることがあると思ってしまいます。でも、私は同時に9歳の息子のお母さん。息子の住む甲府から宮城にかかわっていくしかありません。(まとめて書くから長くなってしまいます。読んで下さってありがとうございます!)
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=58


2012/12/08(土) 02:16|震災

「脱被ばく」を!

 今日の地震は津波を伴ったこともあり、ざわざわした気持ちになりました。危機感を煽るため、というのは分かりますが「東日本大震災を思い出してください、直ちに避難してください」とラジオで繰り返されるのは、あまりいい気持ちではありません。石巻で1メートルの津波が観測されたのを始め、仙台市沿岸を含み宮城県内は各地で津波が観測されました。そして、今日の宮城県内は最高気温が5度以下の場所が多かったです。寒くて暗い中、避難した人たちは本当に落ち着かない気持ちで過ごしていらしていると思います。
 電話が地震から1時間程度でつながるようになったのにはホッとしました(しばらくは仙台市内へも県外へもつながりませんでしたが)。仙台市内は、沿岸部の道路が封鎖になったためか、みなが家路を急いだためか、光のページェントの初日だったせいか(!)、あちこちすごい渋滞でした。
 車のガソリンが半分くらいだたので、一応、満タンにしようとしたら、近所のガソリンスタンドは通常21時までの営業なのに19時半に行ったら既に閉店していました。他のガソリンスタンドでも灯油やガソリンを買い求める人で混雑、、、帰りには渋滞に巻き込まれて、近所のガソリンスタンドに行って帰るだけで1時間近くかかってしまいました。

 そして、今日も繰り返された「この地震の影響で、いまのところ原発に新たな異常はありません」という言葉。私たちは、これから何十年も何百年ももっと、、、地震のたびに(廃炉になるまでの)原発や放射性廃棄物の保管施設の心配を続けなければなりません。脱原発は絶対に必要、それ以外の選択なんてない。
 でも、選挙戦も始まり「脱原発」が焦点になる中、「脱被ばく」はどこへ行ってしまったのだろうと思うのです。集団疎開や保養、避難の権利、健康調査、医療費の減免はなぜ話題にならないのだろう? 脱原発も絶対重要だけれど(宮城県は、県知事があんなに地震で壊れた女川原発を動かす気満々ですし)、起きてしまった事故への対応も、全然、まだ進んでいないこと、忘れて欲しくないと思うのです。例えば、12月末で新たな県外への避難者への住宅補助が打ち切られようとしています。それを国の責任で延長します!という政党がどこかにいないでしょうか、、、(いま打ち切られようとしているのは福島県から県外への自主避難者への住宅補助です。宮城やその他の地域からの避難者への補助は最初からないか打ち切られています)
 そして、被ばくは福島の問題だけだと思われていないだろうか(思わされていないだろうか)という懸念が最初からあります。
 選挙ですっとんでしまっている感がありますが、6月に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」の具体的な中身が1月にも決められると言われていたこともあり、市民の側からたくさんの意見が出ています。支援の内容も大切ですが、その「支援対象地域」がどこになるのかも難しいけれど大事な問題です。
 先日「子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク」では、原発事故 子ども・被災者支援法」に関して要望書を提出しました。宮城県も支援法の「支援対象地域」にすることなどを求めています。関東でホットスポットの地域の皆さんも独自に、支援対象地域に関東のホットスポットも加えるよう、関係省庁に働きかけています。


 個人的には、もう、放射性物質が通り過ぎた全ての地域を支援対象地域にして避難の権利などを補償して、(比較のこともあるので)311以降日本にいる全ての子どもたち(もちろん日本国籍者でも外国籍者でも無国籍者でも!)に健康調査をして欲しいです。
 そして、避難したくても自主避難はできない人たちもずっといます。ふくしま集団疎開裁判、大事だと思っています。応援しています(いま、仙台高裁にかかっています)。

 宮城県には、震災前から「反原発」だったはずの国会議員が何人もいました。でも、震災後、「脱被ばく」のために何をしたのか、全然わかりませんでした。私はすごく怒っています。一方、斎藤やすのりさんは事故後すぐにガイガーカウンターを手に入れて公園などを計測して発表したり、国会で、仙台の学校給食や焼却炉の問題などを質問したり、と「脱被ばく」に目に見えて取り組んでくれました。どうしてもまた議員になって国会に戻って欲しいです。

 全国的に全く話題になりませんでしたが、10月28日に白石市長選挙がありました。白石市は福島県と宮城県の県境で放射性物質がたくさん降ってしまったところです。ここで自民・民主が相乗りし、自治会や商工業会の推薦などを受けた現職の風間市長が、民主党を離党した無所属の沼倉さんにたった800票という僅差でからくも勝ちました。沼倉さんは、放射能対策について「国や県に関係なく、市民にとって必要な事業は市独自でも取り組む」と主張して立候補してくれました。本当に惜しかったです。
 政治に過剰に期待はしていません。でも、立法府も司法府も行政府もちゃんと役割を果たしてくれないと困ります。あきらめたくないです。
 そして「脱原発」だけでなく「脱被ばく」ももっと話題になるよう伝えていきたいです。

追伸:ちょっと力の入り過ぎた投稿になりました、、、私は新潟市生まれ新潟市育ちです。私が小学生〜大学生のとき、ずっと「巻原発」が気になっていました。巻原発は住民投票や町長選挙で原発計画を止めました(巻町が当時、新潟市のベッドタウンとなっていった、という背景もあるでしょうが)。Yes, We Can!! あ、もう死語?
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=55


2012/10/21(日) 18:06|震災

それぞれの選択(「てとてと秋」)

先日、福島原発告訴団の告訴人としての陳述書を書きました。どこまで読んでもらえるかと思いながらもパレスチナのことまで書いてしまい、A42枚びっしりの長さになってしまいました。

 以下、宮城県南部にある、みんなの放射能測定室「てとてと」の通信の紹介です。
 宮城県は地震・津波・原発事故のトリプル災害の被災地ということもあり、なかなか、放射能汚染の影響、人々の気持ち・状況が伝わっていないように思います。貴重な冊子だと思いますので、ぜひ、お求め下さい。

 ちなみに、次回のコミュニティカフェt,able「みちのくらし」のゲストは仙台の放射能測定室「小さき花」の石森さんです。


みんなの放射能測定室「てとてと」の通信
「てとてと秋」のお知らせ

「てとてと秋2012」 (38ページ フルカラー)
1冊 500円 
【主な内容】
  • 測定室から・・・新しい測定器について。てと市などの活動報告、測定からわかったことなど。
  • 特集・・・それぞれの選択 〜今そしてこれからを大切に生きるために〜
  • 宮城県南から四国へ/宮城県南に残った方/宮城県南から大阪へ1年避難し、また宮城へ/福島市から宮城県南へ/宮城県南から仙台方面へ/仙台市から海外へ/仙台市から沖縄へ
  • 測定を向上させるための「手作り遮蔽体」の作り方
  • ・尿検査への取り組み(宮城県七ヶ宿町)など
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 みんなの放射能測定室の第2号となる通信、「てとてと秋」ができあがりました。
 福島第1原発が収束したとはまったく思えないまま、大飯原発が再稼動されました。「だって電気が足りないとこまるから」とか「原発が動かないと日本の経済はガタガタだ」・・・というような声を聞くたびに、私達が失ったものや痛みはなにも伝わっていないのだ、と思います。
 今回の特集 「それぞれの選択 今 そしてこれからをたいせつに生きるために」は7組のかたにお願いして原稿を書いていただいたものです。住んでいらっしゃる地域もその選択されたことも違いますが、お読みになって、どの方の文章にもきっと共感を覚えるところがあるでしょう。校正を重ね、いただいた写真をレイアウトし、版下を作り、何回も何回も読んでいくうちにこの「託された言葉」をたくさんの方々にお届けしたい、しなければいけないと思うようになりました。この原発事故が何をもたらしたのか、ぜひ知って欲しいから。そしてそれ(伝えること)は「未来を生きる人たちへの義務」でもあると思えました。他の運営委員による特集、測定室からの報告も原発事故がなければまったく不要なことでした。私達もまた「今、そしてこれからをたいせつに生きるために」てとてとの活動を続けています。
 なお、売上金はてとてとの活動費にあてさせていただきます。販売にご協力をいただけると嬉しいです。

【ご購入方法】
  • 冊数、送り先を書いて「てとてと」にご注文ください。電話、FAX、メールのいずれでもかまいません。
  • 送料はご負担いただきますが、10冊以上は送料無料になります。
  • お支払いは後払いです。冊子に郵便払込用紙を同封します。振込手数料はお客様負担になります。

 〒989-1241 宮城県柴田郡大河原町字町200  tel. 0224-86-3135
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=49


2012/09/07(金) 01:30|震災

除染

 私は夏の暑さに異常に弱いのですが、やっと夜は涼しくなって来たので、ブログを一気に更新です!

 宮城県も、重点調査地域(*)を中心に、除染が各地で始まっています。基本的に、除染は移染でしかない上に、時期が遅い(1年半も経ちました!)、やり方がまちまち、私有地の除染は個人に任せられている、除染に従事している人の健康が心配など、問題山積です。

【重点調査地域】放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染状況重点調査地域。宮城県は9市町村が指定されています。1時間あたり0.23マイクロシーベルト以上の区域を対象に調査、除染を実施。

 宮城県南部の白石市が広報がpdfでサイトに上がっています。除染のスケジュールや水田への塩化カリウム散布、薪風呂などの焼却灰の処分の注意(各家庭で保管)、、、事故から1年半経ってこういう状況。辛い気持ちになりました。

 これらのことは、私にも全く他人事ではありません。以下、ご参考まで(6月のことですが、書こうと思っている間に3ヶ月過ぎてしまいました)。

* * * * *
 去年5月、ガイガーカウンターを手に入れて自宅周辺を計測したところ、自宅前の道路の側溝が地表近くで1.0マイクロシーベルト前後で、その後もずっと0.7~0.8マイクロシーベルト程度ありました。坂道の下のために側溝に土が堆積していたのです。しかし、鉄製のふたが外せず、汚染土をどうすればよいのかもわからないので、やむなく放置していました。

 今年の6月1日。
 0.23の除染基準も一応できたので、お昼前に突然思い立って、仙台市の危機管理室に電話して対応を求めました。危機管理室では、まず地上何cmで計測したのか確認されました。0.23の基準は地表ではない、と。「問い合わせはあるのですが、50cmで計測すると基準値以下なんですよ」
 とは言うものの、仙台市太白区の道路課につないでくれ、夕方、さっそく道路課の方が来て地上50cmで計測してくれました。問い合わせや計測は多いのでしょうか。手慣れた感じでした。
 結果は、5回連続計測で、0.31~0.33くらい。
 区役所の人は、側溝が仙台市の市道かどうか、とても気にしていました。側溝より内側は確実に市道なのですが、側溝は市道と私道の境界で微妙だったのです(私の所有地ではないです)。
 そして、この側溝が市道に入るのだったら「仙台市の市道で初めての基準値超え」と言っていました(測っていないだけでしょうけれど。そんなことあるのでしょうか、、、と思いました)。
 側溝が私有地ならば、民間で掃除するべき、ということのようでした。
「費用は東電に請求すればよいのか?」「除染業者を紹介してくれるのか?」「(基準値超えの)汚染土はどこに処分するのか?」なども訊いてみましたが、全然わからないとのこと。
 いずれにしろ、まず、下水道課に連絡すると言っていたので、私も様子を見ることにしました。

 6月6日。
 突然、「仙台市から清掃を頼まれた」ということで、委託された民間業者の方が調査に来ました(たまたま自宅にいたから気がつきましたが、私には何の連絡もありませんでした)。
 放射線量が特別高い側溝の端だけでなく、土砂がたまっているところ全体の「掃除」を頼まれたそうです。「気をつけてくださいね」と防塵マスクも渡そうとしましたが、いらないと言われました。「福島では、もっとすごいところやっているから〜。いま、汚染土が処理ができないから(置く場所がないから?)、清掃を止められているくらい」=ここはたいしたことがない、と。
 地表で0.7マイクロだったら、キロあたり8000ベクレル以下、の処理基準も超える可能性もあります。土砂が堆積していなかれば、たんに川や海に流れ出ていた放射性物質たちなのでしょうけれど、、、。

 仙台市の危機管理室に「除染」を求めた結果が「掃除」(民間業者委託)。
 とりあえず電話、と思って対応を求めましたが、そんなにすぐに対処してくれると思っていませんでしたし、全体の「清掃」になるとも思っていませんでした。水で濡らして機械(車)で吸い込み、どこかに運ぶ、、、。除染はして欲しいけれど、どこかで適当に処理されるのも困る。とても対応を迷いました。
 自分に余力があれば、適切な処置を求めるとか、除染前に「清掃ではなく除染だから気をつけるように」と近所に知らせるとか、マスコミや議員にも知らせてみる、とかいろいろ方法はあったと思います。忸怩たる思いです。結果として、私は経緯をいくつかのMLに流して情報共有することしかできませんでした。

 6月7日。
 6日に調査があり、7日に清掃が始まりました。9時〜17時に「側溝の清掃をします」ということで、仙台市と業者の連名で近所にチラシが配られました(「除染」とは一言も書いてありませんでた)。小中学生の登校は終わった時間帯です。土に水をかけ、バキュームカーのような車に吸い込んで行いく、という方法でした。側溝にブルーシートをかけながら汚泥を吸い込んでいましたので、そんなに飛び散らなかったと思います。こぼれた汚泥、水は洗い流していました。ミニホットスポットは、40〜50センチ四方、深さも40センチくらいだと思いますが、結局、2日間かけて、道路200~300メートルくらいの両側の側溝を全て掃除してくれました(場所によっては泥もたまっておらず、そこは放射線量も低いですが)。
 作業員さんたちは普通の道路工事の格好でした。吸い込まれた汚泥は、会社で処理した後、最終処分場に運ばれる、と聞きました(処分場は仙台市の隣でした)。
 また、「除染」を求めたのに「清掃」になった件について、仙台市の危機管理室に電話して確認しました。担当の方は「それは言い方に過ぎません。除染には清掃、覆土、撹拌などありますが、今回は取り除く、ということで」と話していました、、、。
 「清掃」の結果、地表5センチで0.7~0.8マイクロあった場所が、0.1以下になりました。側溝というコンクリートの箱にあった汚染土がそっくりなくなったわけです。
 自宅の前から汚染土がなくなったとはいえ、汚染土としてではなく、通常の汚泥として処理されてしまった、というグレー決着で大変複雑な気持ちになりました。

 結局改めて思い知らされたのは「宮城でも福島でも、汚染物質を管理するための施設がまだないんです。遅いですが」と危機管理室の人さえ認めていたことでした。

josen

* * * * *

 それから3ヶ月。ちょうど、河北新報に福島県の除染に関する記事が載りました。

 地元の河北新報(東北地域をカバー)、震災後に購読を始めました。原発事故の問題に限らず、まだまだ毎日、震災関連ニュースです。サイトで読める記事もありますので県外の皆さんもたまに読んでみてください!

オススメ
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=46


2012/09/05(水) 23:02|震災

コミュニティカフェ t,able

 8月30日の早朝に久しぶりに大きな地震がありました。仙台市内は震度4〜震度5強。自宅も仕事場も被害はありませんでした。でも、ヘリコプター、消防車、救急車の音が続き、震災当日の夜を思い出しました。ラジオを付ければ、高速道路が(検査のため)全面通行止め、線路も点検中。「福島第一原発、第二原発、女川原発はいまのところ異常なし、、、」というニュース。揺れそのものより、付随するものが精神的に嫌な感じです。友人たちも、ショックを受けたと言っている人が多かったです。
 こちらは、まだまだ「震災後」で、県外で「風化」が話題になっていると聞くとびっくりしてしまいます。

  ブログでもずっと書いて来ましたが、震災直後から「場」が必要だ!と思い、皆様のカンパに支えられ、「せんだいコミュニティカフェ準備室」として活動して来ました。
 そして、準備室は「コミュニティカフェt,able (タブレ)」として動き始めました! まだ、実店舗はありませんが、場所を借りながら、カフェトークやイベント販売、情報発信を充実させていきます。
 その活動の一つとして「モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。」をコンセプトにした「みちのくらし」という企画がスタートしています。8月26日に行われたプレトークは「福島と、フェスと、僕の毎日」(ゲスト:南兵衛さん)。おいしいごはんと、豊富な話題で盛り上がり、ノンストップでみんなの話が続きました。9月9日に行われる第1回は「ラディカル・カフェ in 仙台」(ゲスト:佐藤円さん)です。ちなみに、ラディカル・カフェラディ(通称:ラディカフェ)とは、=radiationラディエーション(放射線)+軽くしよう(したい)+カフェ、です。詳しくはコミカフェのサイトをご覧下さい。第2回、第3回、、、と続々、企画中です。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=45


2012/06/23(土) 23:02|震災

はなつちの会

 ちょこちょこ紹介しながら、まとめて書けないでいるのですが。
 「はなつちの会」のサイトができました! 沖縄・伊江島から仙台へ野菜を送ることで人と人を繋ぐプロジェクトです。
 要約して紹介することは難しいです。「趣旨とよびかけ」「沖縄からのメッセージ」をぜひお読み下さい。美しい農地の写真も見て欲しいです。

 春休みに息子と伊江島に遊びに行って来たこと、なかなか書けないまま、あっと言う間に3ヶ月経ってしまいました。美しい海も山も満喫しました。でも、伊江島は農民が闘って農地を取り戻した歴史がありますが、未だ島の3分の1がアメリカ軍の軍事基地です。息子は自分たちも乗る一般のフェリーに軍用車が乗り込むのを見て驚いていました。
 土くさい元気な人参を伊江島からたくさん頂いたり。今帰仁から(私たちには)珍しい沖縄野菜を頂いたり。みんなで美味しく楽しませてもらっています。どうもありがとうございます!!

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=42



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