2011/05/07(土) 23:37|震災

2ヶ月後の仙台の状況

  地震から約2ヶ月が経ちましたが、日々必死なうちにあっという間に過ぎてしまい実感がありません。むしろ、3月11日で時間が止まっている感じです。余震も毎日あります。
 周囲の人に聞いても同じです。「全国のテレビ番組は通常に戻ってしまったね、、、」。それに違和感を持つくらい、何かまだ渦中のさなかで日常に戻れる感じがしません。疲れも出てきました。避難所でなくても、年配の方で病気になる方が増えています。
 それぞれの皆さんにいろいろな状況があるので、書いていることは私の周囲の話です。

(1)地震被害
 沿岸地域では元の風景が一変してしまったのに対し、パレスチナ・オリーブの周囲を含め仙台の街中は、一見は何事もないようで、よく見ると瓦の落ちている住宅があったり、外壁がはがれている建物があったり、お店の中が壊れていたり、道路が通行止めになっていたり、、、と普通の風景なのに何か違う、というのが、かえって奇妙な状況です。普通のようで普通でない。
 アパートやマンションにあちこち大きくひびが入っているのに「大家さんは大丈夫と言うけれど、怖くて住めない」という友人・知人がたくさんいます。ある友人は、市営住宅の2階に住んでいるのですが、津波に襲われ1階が水に浸かったけれど「2階以上は問題なし」と言われて住み続けています。全く住めなくなって引越す人もいれば、沿岸からの移住者もあり、移れる場所もお金もない人も多いのです。その他、仙台市内では、造成地が崩れて傾いている家が多いそうです。
 街中は、ガスが復旧し、建物の補修も終えて、開いているお店が多くなりました。しばらく何も買えなかったし、壊れた物も多いし、、、というのが理由がどうかはわかりませんが、日中は賑わいが戻ってきました。しかし、夕方以降はぱったり人が途絶えたままです。廃業、支店の整理などによる震災関連解雇等の話は身近でも多く聞きます。
 交通機関も復旧してきましたが、飛行機は運行スケジュールが1週間ごとに発表される。新幹線の時刻表は「4月29日〜当分の間」となっています。
 そして、息子の通う小学校の給食はまだパンと牛乳のみ(プラスお弁当を毎日持っていく!)、放課後を過ごす児童館は市民センターに入っているのですが、引き続き避難所となっていて避難者の方々が生活しています。近所にある大好きなおにぎり屋さんは、地震以来閉まったままです。もう廃業してしまうのか心配です。

(2)津波被害
 道路が少しずつ復旧し(あるいは新しくつくり)、ガソリンも手に入るようになって、仙台近郊から個人的に沿岸地域の友人・知人を訪れサポートしている人から話を聞くようになりました。
 ニュースでは、仕事を割り振りしきれなくてボランティア希望者を断っている、物資も余って処分に困っている、と言っていますが、細かいところは全くカバーしきれていないようです。まだ、食料が十分でないところがあります(パン、おにぎり、カップラーメンしかない)。先週、知人が食料の他、現地から要望のあった、やかん10個と魔法瓶10個などを購入して届けたそうです。地震から2ヶ月経ってやかんが必要とは、、、これまでどうしていたのでしょう。その地域は、1週間前から電気が夕方から3〜4時間つくようになった、水道はまだ、という状況だそうです。
 結局、大きな団体より個人のつながりの方が小回りが利くので、宮城県では、被災者が被災者をサポートしているような状況です。それぞれの被災地のニーズは日々変化しているため、「明日、行ける」と思ったときに連絡してそのとき必要なものを買って持っていく、そんなことが一番いいようです。
 皆様からパレスチナ・オリーブに頂いた物資やカンパの一部を、(自らも被災者である一方で自腹を切って活動している)宮城の友人・知人による沿岸サポートに回させて頂きました。どうもありがとうございました。(パレスチナ・オリーブ自体では直接の沿岸支援は行っておりませんので、沿岸支援のための物資・カンパは募集しておりません。)

(3)原発被害
 仙台の大気中の放射線量は通常の2倍程度で下げ止まっています。京都で里子になっていた子どもをGWで仙台に戻しました。結果として仙台が福島原発から95キロという距離の割に放射線量が高くならなかったということもありますが、むしろ、もう大丈夫と思ったからではなく、(セシウムの半減期は30年と長いので)半年、1年待っても状況は変わらない、と思ったからです。地表に積もったセシウムが原因ならば、セシウムがたまっているところを洗浄するしかありません。まずは計測したいのですが、ガイガーカウンターは入荷待ち(予定では、子どもが仙台に戻る前に手に入るはずだったのですが!)。とりあえず、自宅の回りを水で流してデッキブラシでゴシゴシと掃除したり、家の床を水拭きしたりしています。なにか、原始的ですが、、、。
 宮城県は、とにかく計測に消極的で、未だに一部の市町村で大気の放射線量を1ヶ所計るだけ。水道水と野菜は1週間に1回計るだけ。福島県と宮城県の県境には壁でもあって放射性物質が入ってきていないかのような対応です。しかし、実際には、例えば、宮城県南部の丸森町は伊達市などに接しており、計画避難地域になっている飯館村とも目と鼻の先なのです。まずは計測してしてほしい。そして対応してほしい。丸森町の複数地点で計測を続けている知人は、教育委員会などに結果を伝え対応を要請していますが、行政による取り組みの予定はないそうです。
 宮城県はそれどころではないのは重々承知なのですが、まず行政機関にもっときちんとした対応を求める一方、自分たちで地表や放射性物質がたまりやすいと言われる場所などを計測していくしかない、という状況です。
 福島県の人たちとのかかわりについては、早尾の最近のブログをご参照下さい。

 「がんばれ東北!」「がんばれ仙台!」の文字が街にあふれ、見るだけで疲れるなあ、、、と思います。「もう十分頑張っているから」ではなく、頑張らなくてもいいと思うからです。悲しみに沈んでいてもいい、何もやる気がしなくてもいい。しかし、実際のところ、まだまだ「(後でどーんと落ち込むかもしれなくても)いまは動いている方がラク」「気持ちにふたをしている」という声もよく聞きます。難しいです。
 私自身は、頑張らなくても、フェアトレード服を着たりしてたまに明るい気持ちになっていたいと思います。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=21



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