仙台も最高気温が5度を超えるようになり、少し寒さが緩んできました。
これまでの寒さで、仮設住宅の水道管が凍結・断水して慌てて布をかぶせている、という話を聞いてやりきれない思いでいました。宮城県で水道管むき出しでは凍結するのはわかりきっていることですが、行政の対応は本当に常に後手後手です。
2月10日の日経新聞の社説に「震災から11ヶ月経ち、被災地では仮設住宅の整備や道路などのインフラの復旧はおおむね終了した。」と書いてあって目が点になりました。どこの話をしているのでしょう? パレスチナ・オリーブの目の前の道路は、「これから補修に入るため3月末まで一車線減少します」と連絡がきました。道路の補修は3年かかると言われています。「路面下空洞」も多数見つかっています。浄化センター(下水処理場)の再建も3年かかるそうです。
沿岸地域は、利用計画は発表されても異論も多く、交通、電気・水道など何も復旧していません。集団移転のため買い上げとなる土地も、仙台市で坪あたり1万円程度の金額が言われていますが、他の市町村では数千円という話も聞きました。元値をはるかに下回る厳しい価格です。
近所でも地震で被災した住宅の取り壊しがあちこちで行われています。行政の負担による取り壊しの期限が迫っていることもあるようです。解体直前の素敵な古民家の方にお会いしたのですが、あれこれ道を探ったけれど取り壊ししかないと、とても残念がっていました。
今更ですが、仙台・宮城はずっと「被災地」です。毎日、体に感じる余震があり、ずっと震災と向き合う日々。行き交う人が全員被災者で、ここで、震災に関係ないことなんて何一つありません。
先日、パレスチナ・オリーブの大家さんにばったり会いました。大家さんの事務所が津波で流されたのは知っていたのですが、「賃貸契約書自体も、契約書のひな形も何もかも流された(契約の中身も分からなくなっている)」と聞いて、それに思い至っていなかった自分に驚きました。震災後「言われればそうだけど全く思い至っていなかった」は数多くあるのですが、震災後1年近く経ってこんな身近なことがわかっておらず、衝撃でした。
東北から子ども達の安全な未来とあたらしい暮し方を自分たちの手で育み、発信していけるよう音楽をエネルギーに、歌い、踊り、つながり合う場。
すごかったです!! とても暖かな空間でした。
コミュニティカフェのブースにいたので、全然ライヴの会場に入れなかったにもかかわらず、楽しかった〜。(子ども向けのイベント、というわけでもないのに)本当に子連れで来た方が多かったです。小さい子どもが100人はいたと思うのに、騒がしい感じは全くありませんでした。本当にいろいろな方が集ってくれました。
放射能情報を求めてきた方にも、いろいろな人/団体を紹介してつなぐことができました。
「福島応援チケット」での入場もありました。
ミュージシャンの皆さんも普通にブースに来て、ネパリ・バザーロのフェアトレードコーヒーや、
七草農場の人参ジュースを代金を払って飲んで下さいました。
参加者の皆さんもみな、楽しんでくださったようです。「おとのわ」の当日と数日間の感想ツイートの嵐。読んだら泣けてしまいました。みんな、こういう集まりを待っていたんですね。
この「おとのわ」の中心スタッフであり、「せんだいコミュニティカフェ準備室」で一緒に活動している「book cafe 火星の庭」の前野さんのインタヴューが宮城県の復興応援ブログに載りました。仙台の様子をよく伝えていると思いますので、ぜひお読み下さい。
宮城県復興応援ブログ「ココロプレス」
追伸:
仙台・宮城での暮らしを提案していく : 避難移住/保養を紹介する
測定して不検出なら宮城の野菜(食材)を使う、売る : 土壌汚染の心配のない遠方の野菜を使う、売る
などなど。
いろいろな意見があると思いますが、私は、どちらかではなく、両方やっていくしかないのだろうと思っています。ただ、(野菜に放射性物質が移行しなくても土壌にはあるので)農家さんの被曝問題をどう考えたらいいのだろうと思います。