3月11日の仙台はとても静かでした。
適切な言葉が思い浮かびませんが、それぞれ個人的に1年を振り返り、死者を悼んでいたように思います。公の追悼式典などはありました(仙台市の死者は約700名だと思っていましたが、仙台市のサイトを確認したら関連死を含めて約900人になっていてショックでした。3月初めには法事を多く目にしました)。
『キヲクのキロク 市民が撮った3.11大震災』(NPO法人 20世紀アーカイブ仙台)が出ました。震災以来、多くの写真集が出ていますが、これは報道写真とは違う、市民が撮った震災記録です。「被災地の日常」「身近な『生活の中の震災』」
この写真集を企画した佐藤正実さんがインタヴューの中で語っていたことにハッとして、すぐに本を買いに行きました。
「写真を撮った時のことを聞くと、多くの人たちが『津波の被害を受けていない私たちが話をしても、、』と言う。聞きながら、よりその気持ちが強まりました。例えば仙台市民のほぼ全員が目にし、体験したはずの光景がある。でも、私たち自身が被災の強弱を比べて、それを話すほどの体験でないと決めつけてしまえば、記録するすべきことの多くが語られないまま忘れられていってしまう」
仙台市民のほぼ全員が目にし、体験したはずの光景、、、給水やスーパーに何時間も並んだ人の列、空っぽのコンビニ、共同生活。あまり報道されなかったのではないでしょうか。非日常が日常になった生活。
パレスチナの人たちがイスラエル軍に対峙している報道だけでは、パレスチナの生活が伝わらない、と思うことがよくありました。だから、私は、主に生産者を通してですが、パレスチナの人たちの日常生活を伝えようとしてきました。
同様に、震災の報道写真はどこか生活感がない気がしていました。衝撃的すぎるからでしょうか。暮らしている人が撮った写真ではないからでしょうか。
仙台市民の私だから、この写真集を特別だと思うのかもしれません。多くの友人・知人たちが撮った写真、写っている写真があり、(写真提供者として)友人・知人たちの体験記録も載っています。
でも、全国の皆さんにも見て欲しい、そう思ってしまう写真集です。仙台の本屋さんではどこでも買えますが、全国的には、アマゾンとジュンク堂で買えると聞きました。
皆さま、この1年本当にどうもありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
(私だけでなく友人たちも同様の気持ちになっていて、3月11日は「良いお年を」と言って別れました。)
追伸:言及しない訳にはいかないこと。震災直後、水と食料を求めて何時間も子どもと一緒に外で並んでいたことを、いま後悔している親御さんが多数います。畑の野菜を配り、炊き出しをした農家の方が、ぼそっと「汚染された野菜を配ってしまった」と言ったことがあります。写真集を見れば、壊れた家屋の木材を燃やして暖を取っていた人々の姿があります。いま振り返れば、危険なことです。でも、知らなかった。そして、飢えと寒さで衰弱死した方もいらっしゃった中、他にどうにかできたとも思えません。悔しいです。