『壊れた5つのカメラ』が9月下旬から日本で公開されるのに先駆けて、二人の監督が来日してのトークイベントが、8月30日(木)〜9月2日(日)に東京、浦安、大阪で行われます(詳しい時間と場所は
サイトでご覧下さい)。
パレスチナ・ビリン村(ヨルダン川西岸地区)に暮らす村人が、息子の誕生で手に入れたビデオカメラで、隔離壁の建設などに抗議する非暴力直接抵抗運動を記録していく。それを描いたドキュメンタリー映画です。ビリン村で農業を営んでいたイマード・ブルナートさんがカメラを持ち、イスラエル人監督のガイ・ダビディさんと共同で作り上げています。そのお二人が来日する貴重な機会です。また、各地での劇場公開が始まりますので、チェックしてみてください。
話変わって。
たくさんの震災映画の公開が始まりました。宮城の津波被災地を撮ったもの、福島の原発事故災害を撮ったものがほとんどのようです。私は、申し訳ないけれどまだ映画を見る気持ちにはなれず、震災映画はほとんど見ていません。どこかから誰かがやってきて、撮って作品にしていく。決して否定するつもりはありませんが(本当です)、複雑な気持ちになります。もちろん、一度来て撮っていく人、定期的に通って撮った人、住んで撮った人、震災前から被災地に繋がりがあった人、なかった人。立場も撮り方も様々でしょう(見ていないので内容はわかりません)。でも、どこかで、地元の人が撮ったものなら見てみたいかな、と思ってしまいます。偏見だとは自覚しているのですが。そして、地元の人が映像なり何なり作品を作っていくのはまだ早いのだろうな、、、とも思います。
パレスチナも多くの人が訪れ、報道し、作品を作ってきている場所です。一方で、地元のパレスチナ人が撮った多くのドキュメンタリーやノンフィクションの映画も増えました。機材が手軽になって作品が増えたのか、DVDなどで簡単に見られるようになったので多くなったように感じるのかはわかりません。いろいろなパレスチナ映画(英語字幕付き)のDVDが通販などで買えます。
話、ちょっとずれて。
先週、『ポニョ』が全国的にテレビ放映されました。夏休みにジブリ作品を放送、、、よくあることです。でも、津波を思い起こすシーンがあるのに震災から1年半でもう放送してしまうなんて、とショックでした。『ポニョ』をさすがに震災直後に放送できたとは思えません(ちょっと調べたら、やはり放送禁止だったらしいです。自主規制でしょうけれど)。でも、1年半経ったら、もうそろそろOKと思われるんだ、、、ということがショック。私たちは「震災後」を生きていて(まだ「震災中」と言いたい面すらある)、でも、他の地域の人には過去のことなのかな、、、と。
また話変わって。
小説でも、地震・津波や原発事故に触れた作品が出始めています(これまた、ノンフィクションの「震災本」自体はまだ読む気がしなくて、ほとんど読んでいないのですが)。早いなあ、、、と思ってしまいます。「後から批判も出るかもしれないけれど、いま描かずにはいられなかった」というようなことを言っていた漫画家さんもいたので、それぞれ作家さんたちは、葛藤の中で書かれたのだとは思いますが。
水村美苗さんの『新聞小説 母の遺産』。新聞連載中に震災が起きたので無視もできなかったのかもしれないですが、最後、震災が付け足しに使われたようで、なんだなあ、、、と思いました。『母の遺産』自体は面白く、また、かなりいろいろ身につまされて読んだのですが。
高橋源一郎さんの『恋する原発』は、いかにも源一郎さんらしい(ちなみに私は20年以上の源一郎さんファンで、学生の頃はコンピューターの壁紙を源一郎さんにしたりしていました、、、)。
一方、仙台在住の伊坂幸太郎さん。震災後しばらく何も書けなくなったけれど、ファンに「また楽しい作品を書いてください」って言われて、そうか、今まで通り、楽しい作品を書こう、と思った、とどこかで書いていました。震災を挟んでできあがったのが(2012年5月出版で、書くのに「2年半かかった」というから)『夜の国のクーパー』。とても良かったです。好きな作品です。震災を連想させるようなことは一つもないけれど、根底に流れるものが何かあると思います。家族やコミュニティの物語、と書くと陳腐になるけれど(むしろ、戦争の話なので「国家」のことを書いているのですが)。伊坂さんの作品には、やさしさとか、独特の正義感(登場人物が持つこだわりの?倫理観や正義感)があり。
そして、まだ、読むのはきついかな、と手に取れていなのですが、俵万智さんの『風が笑えば』『俵万智3.11短歌集 あれから』は、近いうちに読みたいと思っています。俵さんは、原発事故により仙台から石垣島に避難移住しました(ちなみに俵さんの息子さんと私の息子は同い年、、、会ったこと全然ありませんが)。
久しぶりのブログ更新なのに(だから?)、話がずれまくってしまいました。