2023/04/25(火) |-

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

この記事のURL:https://himar-diary.jugem.jp/?eid=


2013/04/23(火) 22:44|震災

それぞれの選択鵺(「てとてと春2013」)

 大好評だった『てとてと秋2012』から半年。『てとてと春2013』ができました。
 今回は「それぞれの選択鵺」として、農家さん、パン屋さん、陶芸家さんなど、宮城県の各地で、放射能に向き合いながら生業を続けている皆さん、移住して再スタートした皆さんの声が寄せられています。一人一人の人たちが、具体的に何を考え、どう対応して暮らしているのか。それをぜひ、知って頂きたいと思います。故郷を離れた人だけ生活が一変したのではないのです。残った人たちも、とくに、自然に添った暮らしをしていた人ほど、原発事故後は、同じ場所に暮らしながら、今までとは違う生活、対応をせざるえないのです。そして、それは毎日のことであり、これからもずっと続くことです。

 印象的だった、最初の農家さんの言葉をいくつか抜粋します。
(部分抜粋ですから、意図がずれて伝わる可能性もあります。ぜひ、お買い求めになって記事全体をお読み下さい)

「事故の後、ハウスのほうれん草を急いで出荷したんだ。危ないかもしれないと思ったけど測れないし、どうしようかと思ったけど、きれいごとは言っていられなくてさ。生活が懸かっているから出すしかなかったんだ。心の中がとんでもなかった。測りもしていないのにだしているってことが苦しかったなぁ。その代わりどんなこどがあっても露地のほうれん草は出さないって。アスパラは自分ちで取れたものだからうちでは少し食べたけど、出荷はしないで捨てた。市場は出荷停止になっていないから出荷はできたと思うけど、『出せないもんは出せない』、これは直感」
「周りの人たちは気にせずやっているけど、作れる人間と俺みたいに作れない人間といるんだ。農地の状態を見て納得しないうちはできないって思った。ハウス栽培は変わらずにやっているけれど、もしハウスの中も汚染されたら農業はあきらめるかなって思ってた」
「最初は怖くて測れなかったんだ。野菜から調べられなかったもん。ここなら低いだろうと思える場所の土から調べた。受け止められないから自分を慣らすために。だんだん近付いて途中で野菜を測って下限値以下なのを確認してから『ここは高いだろう』というところを測った」

 他の農家さんはこう書いています。
「震災から2年経っての今の心境は、、、。苦悩するチカラを試され続けているということ」
「現状としてはまったく対応は追いついていないし、結果的には難しいしわからないことばかりです。認めたくない心情もあって酒へ逃げる時も多々あります。」

 ぐたぐだな気持ちは文章にならないから、皆さんきちんと書かれていますが。誰も正解を持っている訳でもなければ、割り切れている訳でもありません。文章に書けないこともあるのだろうと想像していただきながら、宮城の現状の一端をぜひお読み下さい。
(私自身は「てとてと」のメンバーではありません。勝手に宣伝係?です。)

**********
みんなの放射能測定室「てとてと」の通信 『てとてと春 2013』
(1冊 500 円:A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 30 頁フルカラー)
【内容】
○表紙 ---- 写真 : 山中環 /詩 : 三田さえ子 ( てとてと )「かみさまは」
○コラム ---- 素朴料理研究会 : 原田明子 ( てとてと ) 
○日々多感 - 測定室から 
  • 測定室より新企画のご案内と今後の活動についてのご報告 : 北林康
  • みんなの「てとてと」であり続けるために : 杉山仁子
  • 土壌測定から見えてきたもの : 北村保
○特集 それぞれの選択 II~いのちの世界からいただき続けるために 
  • ここで生きる だから測る : 村田町 岡崎秀夫
  • もっと大事なものは : 角田市 佐藤準一 
  • 前を向いて生きよう ! 宮崎県へ移住 : 匿名希望
  • それでも、人生にイエスという : 名取市 三浦隆弘
  • 見えない雲の下で : 角田市 陶芸家 池田匡優
  • 未来からのまなざし : 宮城県北部 木村さゆり
  • ひっぽのはじめの一歩 ~ 未来に向かって ~: 丸森町 吉澤武志
○てとてと勉強会だより 三田常義/さえ子(てとてと)
○うた「あたし みーにゃん」: しょんつぁん ( てとてと )
○ご報告とお願い : 事務局/編集後記 : 通信班 
○裏表紙 - 夢をみることを思い出した : すみやのくらし : 佐藤光夫/円 ( てとてと )

 みんなの放射線測定室「てとてと」の第三号となる通信「てとてと春 2013」ができあがりました。 前号の「てとてと秋」では「それぞれの選択 今 そしてこれからをたいせつに生きるために」という 特集を組み、3・11 以降、移住、避難、この地に残ることを選択した方々に文章を寄せていただきました。
 「原発事故でこんな大変なことになっているなんて」、「ひとつの正解で片づけられるようなことが起 きているのではない、ということを深いところで気づけた」そして、「そもそも何のためにこうした状 況が起きたのか、目をそらしてはいけないと思った」・・・など、たくさんの声が「てとてと」に届け られました。販売にご協力いただいた方々に心から感謝しています。
 今号では「それぞれの選択II いのちの世界からいただき続けるために」という特集を組み、土に、 山に、田畑で取れる作物に深くつながって暮らしてきた 7 名の方に執筆をお願いしました。食べ物だ けではありません。水も空気もエネルギーも何もかもが自然界からのいただきものです。原発事故で 自然界が汚染されても、それでも、私たち「人間」は、自然界からいただき続けなければ生きていけ ないのです。執筆者の方々も私たちも迷いながら手探りで歩んでいます。このところ盛んにあちこち で目にする「風化」という言葉。放射能汚染のただなかで暮らす人たちは、忘れてしまいたくて「風化」 を口にし、放射能から遠く離れて暮らす方々は忘れてしまっている自分を許すために、社会全体が「風 化」したことにしているのではないか・・・。  一人一人の方が、福島原発事故で起こったこと、それがもたらしたことに思いを運んでくださった なら、きっと変わっていける。どうか執筆者の方々の言葉があなたの胸に届いてくれますように。  なお、売上金はてとてとの活動費にあてさせていただきます。販売にご協力をいただけると嬉しい です。
----------------
【ご購入方法】
  • 冊数、送り先を書いて「てとてと」にご注文ください。電話、FAX、メールのいずれでもかまいません。
  • 送料はご負担いただきますが、10冊以上は送料無料になります。
  • お支払いは後払いです。冊子に郵便払込用紙を同封します。( 振込み手数料はお客様負担になります )
  • バックナンバー『てとてと春 2012』(A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 20 頁フルカラー :2012 年 4 月発行 :300 円 )、  『てとてと秋 2012』(A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 38 頁フルカラー :2012 年 10 月発行 500 円 )  も在庫ございます。
  • 販売していただける取扱店なども募集中です。( 詳細は直接ご相談下さい )
  • 詳しくは、「てとてと」まで。
〒 989-1241 宮城県柴田郡大河原町字町 200
TEL&FAX 0224-86-3135
sokuteimiyagi(アットマーク)kni.biglobe.ne.jp
この記事のURL:https://himar-diary.jugem.jp/?eid=60


2013/04/23(火) 20:37|震災

甲府から近況

  4月1日に仙台から甲府に引越して来てあっという間に3週間が経ちました。
 皆さんご心配してくださっているようなので(どうもありがとうございます)、簡単に近況報告です。

 新事務所は、いま、オリーブオイルが山積みです。私は段ボールの壁の向こうでパソコンに向かっているので外から見えません! 新スタッフの井上が、入り口近くのわずかなスペースで、検品、荷造りの作業を行っています。パレスチナ・オリーブで働くため、東京から甲府に引越して来てくれました。パレスチナとのかかわりなど、次号、『ぜいとぅーん』で自己紹介してもらう予定なので、お楽しみに!
 新シーズンのオリーブオイルが入荷し、ご予約順に発送中です。今回のオリーブオイルはフルーティーで濃厚、まろやか。ここ何年かで一番の美味しさではないかと思っています。4月27日(土)、28日(日)には、二子玉川でのOLIVE JAPANに参加します。こういった商業ベースのイベントに出るのは初めてですが、生産者団体「ガリラヤのシンディアナ」から、このオリーブオイルコンテストにオリーブオイルを出品したいという話があって、私たちもマルシェに出店することにしました。上位に入賞して注目されたらどうしよう、と心配しています、、、?!

 引越でお疲れでしょう、、、という暖かいお言葉もたくさん頂きました。
 最近、体がとても軽くなり、今日、はたと、「震災以来、初めて、きちんと睡眠を取っている」ということに気がつきました。
 仙台でも、疲れ果てて風邪引いて一日ダウンとか、パレスチナから帰って来た直後に20時間連続で寝た、とかはあったのですが。疲れが取れた感じはなく、そして、二日以上連続で睡眠時間を十分取る余裕は、2年間ありませんでした(たんに夜型生活を直せず、ずるずる過ごしていたとも言えますが)。
 これが、被災地から離れて暮らすということなのでしょうか。
 余震のほとんどない場所で。震災のかけらも感じない、美しい山並みが見える穏やかな春の日々。息子とキャッチボールをして、腕が筋肉痛、、、。
 気持ちの方はラクでもあり、ホームシックの気持ちもあり、です。私は出身・実家は新潟ですが、仙台に住んで約20年で震災に遭いました。震災後に急に東北人アイデンティティが生まれた感じです(自分でもインチキっぽいなあと思いますが、アイデンティティって何かあったときに芽生える、気がつくものですよね)。仙台大好き!ではなかったけれど(ごめんなさい)、仙台・宮城は大好きな友人・知人・仲間がたくさんいるところ、です。
 市外局番の022をつけないで仙台に電話をしてしまって(しかも何度も)、寂しい気持ちになったり。毎朝、河北新報をネットで見ていたり(でも、ネットには全部は載らないので、仙台の友人に後日まとめて河北新報を送ってもらっています)。

 新聞などの報道によれば、震災から2年経ってのアンケート等で数字に表れているものだけでも、精神的な疲れやストレスが増しています。アルコール依存、飲酒事故、鬱など精神疾患による公務員の休職、仮設住宅での精神疾患の危険、DVや児童虐待、、、の増加。
 震災から数年後が一番きつい、とよく言われます。私は、震災直後に(数ヶ月は震災真っ最中の気持ちでしたし)「いまだって十分大変だよ!」と思いましたが。辛い出来事から2年な訳ではなく、震災当日のことだけでも十分辛い人が多いだろうに、震災による辛いことは日々続いていて、それを一つ一つ乗り越えて毎日生きていかなければいけない、その疲れがたまってくるのだと思います。地震も津波も原発事故も、です。理不尽なことは、原発事故だけでなく、地震・津波の被害への対応でもたくさん(対応しきれないほど)起きています。こんなことを書いていると、「まだ震災とか言ってるの?」なんて思う人がいたりするのかな、とも思います。でも、20年たっても30年たっても、震災で変わってしまったものは戻ってこないだろうし、思い出したら辛い、という人もいると思うのです。励ましでも「そんなことばっかり言っていないで、もっと前向きに」なんて言葉はかけてはいけないのだろうと思います(私が言われた訳じゃないです)。
 だからと言って、みんなが毎日、陰鬱に暮らしている訳ではありません。それは、パレスチナの人が毎日嘆いて暮らしている訳ではないのと同じだと思います。そこにも、楽しい毎日の暮らしがあります。私も、です。

 移転手続き関係を含めあれこれ仕事が滞り、あちこちご迷惑もかけているので、よく寝たと大きな声では言えませんが。ちょっと、ねじ巻いて行きます! これから、仙台・宮城のみんなと、どう一緒にやっていくか、何ができるか。改めて考え中です。山梨県、そしてお隣の長野県の皆さんとのつながりも少しずつできてきています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
この記事のURL:https://himar-diary.jugem.jp/?eid=59


1

プロフィール

カレンダー

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< April 2013 >>

最近の記事

カテゴリー

アーカイブ

リンク

ブログを検索

others

モバイル

qrcode

PR