2013/07/25(木) 11:51|震災

宮城情報を得るには(1)

 甲府での生活にも慣れ、仕事も落ち着き、仙台の友人たちが恋しい今日この頃(ときどき仙台に帰っています)。仙台の涼しさもなつかしい。甲府は仙台より常に10℃気温が高いです、、、。それは、さておき。
 宮城情報を得るには、、、河北新報を読もう、です。

 宮城の地元紙である河北新報を郵送で購読しています(記事内容の範囲は東北全体です)。2日遅れになるし、郵送代金がかかって高くなるので、最初は迷ったのですが。全国紙ではあまりに震災情報がないし、河北新報のサイトでは情報が探しにくいので、新聞を取ることにしたのです。
 河北新報では、今回の参議院議員選挙において、震災のことは全国問題ではなく地域課題になってしまったようだ、と書いていました。私も全くその通りだと思いました。
 例えば、巨大防潮堤問題。地元のほとんどが反対なのに国の方針で、いまどんどんとつくられています(自治体も反対だけれど、防潮堤ができないと、その他の復旧・復興も進められないしくみなので、強く反対できないそうです)。海が見えなくなる、高くて幅広い防潮堤。それを作るより高台への道を整備した方がいいんじゃないの?という、まっとうな意見は宙に消えていきます。
 例えば、資材不足・人手不足でコストが増加、なかなかインフラや建物の修復・建設が進まないのに、働く人の賃金はあがっていない問題。「日建連(日本建設業連合会)は中長期的対策として、5次、6次下請けのケースもあるとされる縦走下請け構造が職人の賃金低下を招いていると分析。こうした構造の簡素化に本腰を入れ、5年後をめどに可能な限り、2次下請けまでに整理する方針だ」(7月19日の河北新報より)。5年後って気の長過ぎる話で驚きました。

 こういうことが選挙の争点になったとは聞きませんが、これは地域の課題なのでしょうか?
 以下のような理不尽な話も枚挙にいとまがありません。

 岩手、福島では被災者の医療費免除が延長されたのに、宮城県だけが2013年3月末で打ち切られました。理由は「被害が大きすぎて、被災者が多いから」。これには、気仙沼や山元町など、津波被災地の友人たちがうなっていました。震災前は高齢でも元気に暮らしていた親が、家を流されて仮設やみなし仮設に入ってから入退院を繰り返す、というような話は身近にも聞くのです。

 東日本大震災の津波で浸水した病院には移転再建支援がない。ところが、南海トラフによる巨大地震対策では、学校や病院の移転を支援する。→詳しくはこちら:医療・介護 施設の人手不足深刻

 これらのことは、全国の皆さんも知っていることなのでしょうか?
 選挙では、話題になっていましたか?
 悔しいし、何もできない自分が腹立たしいです。でも、知らないのは嫌だから、新聞を読んでいます。
 ただ、明るい復興話だけが伝わるのが嫌で、つい「問題」ばかり書いてしまっていますが、誰にでもどこにでも、悲喜こもごもの毎日の暮らしがあるのは言うまでもありません。

 選挙前の特集記事を少し紹介します。
(長期連載中の「神話の果てに 東北から問う原子力」も力作です。)

災後の課題 地域は問う(2)原発事故の影/動き鈍い国 募る不満(7.16)

復興と政治−遠景・近景 まちづくり予算 時間と査定、二つの壁(7.17)

復興と政治−遠景・近景 水産業 再起遮る縦割り行政(7.16)

復興と政治−遠景・近景 医療・介護 施設の人手不足深刻(7.14) 

復興と政治−遠景・近景 農の未来 大区画、個人置き去り(7.12)

復興と政治−遠景・近景 原発自主避難者 乏しい支援、遠い帰還(7.10)

復興と政治−遠景・近景 働く場 「普通の仕事」どこに(7.9)

復興と政治−遠景・近景 住まい 届かない再建支援策(7.6)
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=64


2013/07/25(木) 00:33|その他

辺野古

 前回の記事「沖縄とつながる」は多くの方に読んで頂いたようで驚きました。「いいね!」を押してくださった方が多くて嬉しかったです。今日は辺野古とのつながりの話。辺野古は何回か案内して頂いて行ったことがありますが、(たぶん当時3歳の息子と一緒に行った2007年以来)毎月、NO BASEを郵送して頂いています。

 辺野古での基地建設のために沖縄防衛局が埋立申請を沖縄県に提出しました。そして、沖縄県による埋め立て申請の告示・縦覧が6月28日からから7月18日まで行われ、「利害関係人」は意見書を出すことができました。いくつもの市民団体から、みんなが利害関係人、辺野古の海を埋め立てないように意見を出しましょう、と呼びかけられていました。
 私も、書かなくっちゃ、と思いながら、日々の忙しさにまぎれて、のびのびにしていましたが、最終日にギリギリ出しました(当日消印有効)。「生物多様性」の方のサイトに琉球新報や沖縄タイムスの記事が載っています。2000通を超える意見書が出されたそうです。

 選挙前。全国的な報道になってもいいとこですが、これって、日本の問題ではなくて沖縄の地域課題と思われているのでしょうか、、、!? (震災が地域課題にされてしまったように!)

 ギリギリで手早く書くにも、2011年6月11日の河北新報の社説を引用しながら、意見書を書きました。記事をアップするのはあまり良くないのでしょうが、いま河北新報のサイト上に見つけられないので、載せてしまいます。


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東日本大震災 被災3ヵ月/東北の位置付け変え自立を

河北新報 社説 2011年06月11日土曜日

 中心に居ると、周縁が見えない。国を治める者にとって地方は政策遂行のための客体であり、地元の意向はしばしば無視される。
 中心の身勝手さの例としては、被災地の苦悩を顧みることなく繰り返される不毛な政争を挙げるだけで十分だろう。

 大震災から3カ月、おぼろげながら見えてきたことがある。東北は国策に翻弄 (ほんろう)されている。過去も現在も望まない役割を背負わされ、日本を下支え してきた。震災は国土構造のゆがみを白日の下にさらした。

 日本の中の東北の位置付けを変えずして、本格的な復旧・復興などあり得ない。 東北の自立を主張すべき時だ。

 仙台から南へ約1800キロ。在日米軍基地の75%が集中する沖縄で、こんな声を 聞いた。「今こそ沖縄から被災地支援を」

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として日米両政府が想定する名護市 辺野古地区。海上ヘリ基地建設に反対する人たちが5月初めから、「米軍への 思いやり予算を凍結し、被災地支援に充てよ」と、署名活動を始めた。

 米軍駐留経費の負担について今後、日本側が5年間にわたり現行水準(2010 年度1881億円)を維持するという協定案が成立したのは3月31日のこと。 同じ額を被災者支援に回せば、50万人に毎月5万円を3年間支給できると反対協 の人たちは訴える。

 共同代表の安次富(あしとみ)浩さん(65)は「被災者が苦しんでいるこの タイミングで思いやり予算をもらって、オバマ米大統領は恥ずかしくないのか。 基地も原発も、アメ(カネ)で地元をがんじがらめにするという点で根っこは同じ」と 明快だ。既に6千人以上の署名を集めた。

 片や文字通り基地を提供することで日本の安全保障を支え、こなた電気や食糧、 人材を首都圏に供給する「基地」として。沖縄と東北が戦後、たどった道は 酷似している。

 震災発生から3日後、沖縄の地元紙・琉球新報は河北新報の社説を引用しながら 「共助の精神は、独り東北地方だけのものではないはずだ」と訴えた。沖縄が 東北の窮状に共感するのは単なる偶然ではあるまい。

 沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は「人ごとの論理が、基地問題も原発問題も 見えなくしてきた」と指摘する。本土にとって都合の悪い基地は、沖縄の民意が どうあろうと押し込めておく。ネオンこうこうと輝く不夜城東京も、電源地帯に思いを 致すことなどしてこなかった。

 平和を望むが、基地は要らない。電気は欲しいが、原発は来てほしくない。 「人ごとの論理」とは自己中心と同義語である。地元にもたらされる公共事業と雇用、 わずかばかりの補助金がそうした矛盾を覆い隠し、都市と地方を分断してきた。

 一向に動かない基地問題にいら立ち、沖縄では「差別」と捉える見方が広がって いる。地方を踏み台にした国の繁栄など私たちは望まない。物言わぬ東北から 物言う東北へ。大震災からの復興を歴史の転換点としたい。

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この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=63


2013/06/13(木) 21:32|その他

沖縄とつながる

 名古屋でのトーク、その道中での岐阜のお店訪問の報告も書きたいと思っているのですが、順番に書こうとするといつまでたっても書けないので、先に、沖縄とのつながりでお知らせあれこれです。

(1)
 ブログでも何度か紹介していますが、震災以来、京都の友人とのつながりで(主に京都の皆さんからのカンパで)、沖縄・伊江島のお野菜を仙台・宮城に送って頂いています。この春も、たくさんのよもぎやお野菜を送って頂きました。→はなつちの会
 はなつちの会の京都メンバーも来て、6月29日(土)には大河原(宮城県南部)で、30日には仙台で、矢ケ崎先生とのお話会があります。

 このつながりの中で伊江島からオスプレイのことも聞いたりしています。
 音も聞こえないけど、人間の体はかなりのストレスにさらされる状況で、あらゆる体調を引き起こす。でも、健康被害との因果関係を簡単には証明できない、まず自分たちで計測していくしかない。そんなところが放射能被害と似ているね、なんて話もしています。
 普天間基地近くに職場がある知人も、オスプレイによる低周波騒音が1時間以上続いたりすると、部屋にいるだけで苦痛だと言っていました。

 低周波勉強会の新聞記事が、わびあいの里ホームページに載っています。

以下、伊江島からの報告です。
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 新たな基地被害、放射能のような低周波。

 低周波は、爆音と違って、人間の耳で感知出来ないほどの低い周波数ながら、ものを動かすほどの力がある。(音が聞こえないのに、ガラス戸がカタカタなるなど)
 低周波音が大きいとされるオスプレイ配備以後、体調不良を訴える人が増えている。
眠れない、イライラする、動悸がするなど。
 弱い人に被害が及ぶようで、子ども、動物、ペースメーカーの人、不整脈が起きた人。パニック障害が重くなる・・・また低周波測定の基準値も「鈍い人」を基準にしているため、敏感な人の声は「問題ない数値だ」で片付けられる可能性がある。

 オスプレイは「アメリカ的かっこよさ」を追求しすぎるあまり、安全性などの問題は不十分過ぎる。(沖縄配備が実験なのか)
 コップピットで、最高に高い数値がでている研究報告もあり、パイロットは相当なダメージを受けているはずで事故が相次いだ背景にはこうした事も関係しているのではないかとの見方もある。

 アメリカ人は、「音は出してもいいもの」と思っている所があり、何も言わなければ、本気でうるさくないのだと思ってしまうふしがあると、平和市民団体「ピースフルスカイズ連合」会長のキャロル・ミラー氏が証言している。

 また、宜野湾市内の保育園が防衛施設局(当時)に防音工事の補助を申し入れたところ、認可外ということで「補助の対象外」と断られた。
 この件に対して、渡嘉敷教授は施設整備は、最低限の大きな教育・保育環境だ。児童への影響は、行政がきちんとモニタリングして、問題解決の方策をとるべきだ。国策で沖縄に米軍基地があり続けることで生じる弊害が、子どもに影響を与えているなら、それは政治の責任だ。全国一律の補助制度であっても、置かれている環境は全国一律ではない。沖縄独自の対策が必要。今すぐ米軍基地を撤去出来ないのは、日米両政府の政治問題。そのために周辺住民に影響が及ぶなら、問題解決のために手当を国は尽くすべきだ。(琉球新報2013・05・21)と話している。

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(2)
 一緒に「はなつちの会」をしている鳥山さんが3月に本を出しました。
鳥山淳『沖縄/基地社会の起源と相克: 1945-1956』勁草書房
 まだ読み終わってないので、あとで紹介を書きます!

(3)
 「はなつち」とは別件です。友人が沖縄オルタナティブメディアをやっています(辺野古〜高江とずっと運転して案内してもらったこともあります)。4月からNPO法人になって、リニューアルスタートしていますが、会員数がまだ少ないようです。興味のある皆さん、入会よろしくお願いいたします!(私自身は「サポーター」メンバーになりました)。
 沖縄の切羽詰った「現場」。本土までなかなか伝わっていないな、と思います。

以下、サイトより抜粋
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 OAM(沖縄オルタナティブメディア)は、沖縄発の、既存のメジャーメディアに対するオルタナティブ(代替)メディアです。新聞やテレビが報道しない沖縄の情報を、現地からお届けします。
 メジャーメディアでは時間的、空間的、またその他の制限があるため、情報が短く、早く、「分かりやすく」加工されてしまう傾向にあり、残念ながらその出来事の原因や背景、人の感情など、大切なことが排除されがちです。
 我々は独立メディアであることを活かして、私たちが本当に伝えたい、知りたい情報を伝えていきます。
 OAMは、news(新しい)に対して、じっくりものを考えることを促す「slow media」を目指します。
 基地問題を含む「沖縄問題」の多くは、日本全体の重要問題です。
 過去にはインターネット新聞「JanJan」「オーマイニュース」に数多くの記事を寄稿し、ブログでも精力的に発信している24wackyこと代表・西脇尚人をはじめとするOAMと皆さんで問題を共有し、考えていきたいと思います。
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この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=62


2013/05/15(水) 23:12|イベント

5月の参加イベントほか

 甲府はすっかり、暑くなりました。今日の甲府の気温は27℃、仙台の気温は14℃。仙台は北国だったんだなあ、と改めて思います。
 相変わらず書きたいことはたまってしまっているのですが、取り急ぎ、今週末、来週末のイベント参加のお知らせです。

「こぴの庭」暮らしのマーケット
日時:5月19日(日)10:00~16:00
会場:甲府市美咲

 甲府での初出店です!
 本当に縁もゆかりもなかった甲府ですが、しまこぴさんには、震災前からオリーブオイルを愛用して頂いていました。
 山梨の素敵なお店が一堂に集まります(長野からの出店もあるそうです)。売るより買うのに一生懸命になってしまいそうな可能性大ですが、とても楽しみです。新シーズンのオリーブオイル他の試食もちゃんと準備して行きます〜。詳しくは、「こぴの庭」のサイトをご覧下さい。

「フェアトレードの可能性」理不尽な世界で楽しく前向きに生きる
日時:5月25日(土)14:00~16:00
会場:名古屋国際センター

 5月はフェアトレード月間です。名古屋ではフェアトレードに関するたくさんのイベントが行われています。私は25日に話をします。パレスチナの生産者とのこれまで。ヨーロッパのフェアトレードの流れが変わる中での生産者の対応。震災で「支援される側」になって、改めてフェアトレードについて考えさせられたこと。具体的な話をしながら、皆さんといろいろ考えるきかっけになればいいな、と思っています。詳しくは、こちらのイベント案内をご覧下さい。

 そして、私は「こぴの庭」とぶつかっているので行けないのですが、東京近郊の皆様にぜひオススメなのは5月19日(土)に早稲田大学の講堂を会場にして行われる映画&トーク。「アラブの春とパレスチナ-ラップとSNSが伝える若者たちのメッセージ」。詳しくは、パレスチナ子どものキャンペーンのサイトをご覧下さい。


追伸1:パソコンは得意ではないので、なかなか、ちゃっちゃと出来ないのですが、イドナ村女性組合からの刺繍製品の写真をアップしました! ポケットつきパースやスマートフォンケース、タブレットケースなど、実用的なものが入荷しています。年末年始に2年ぶりにパレスチナに行って新商品を見ていたら、あれも素敵、これも素敵、とわくわくした嬉しい気持ちになって、あれこれ注文してきてしまいました。それが入荷しています。ちなみに、私の下手な写真より、実物の刺繍商品のほうがずっと素敵です。一糸乱れぬ(?!)刺繍模様です。

追伸2:4月23日にブログでよく眠れるようになった、、、という話を書きました。心労で眠れなかったわけではありません。寝入ったばかりの余震、とか、明け方の余震とか。地震で起きた後に寝直すのは、中途半端になります。寝ている時は震度1でも目が覚めてしまいますし。そして、たいした揺れではないからそのまままた眠りたくても「原発のある地域で揺れが大きいと悪いから、念のため」とごそごそ起きてラジオをつける。そして「今回の地震によって、福島第一原発では、これまでのところ、新たな異常は報告されていません」という、いつものセリフを聞いて、また眠る(これまでのところ、新たな異常は、というセリフにうんざりしながら)。そんな2年間だったのです。朝4時頃の地震で起きることが多かったように思います。もともと揺れは全然怖くないので、3月11日の当日も、立っていられないものすごい揺れの中でわりと平気だったのですが。
 そして、「新たな土地で大変でしょう」という声もたくさん頂いていますが(ありがとうございます!)、私は、皆さんのおかげで仕事も継続できていますし、どこでもマイペースでやっていけるタイプなので大丈夫です。(大変な思いをしている避難移住者の方も、もちろん全国各地にいらっしゃいます。高齢の方は体調を崩しがちですし。置かれた状況によって様々だと思います)。

追伸3:肝心のOLIVE JAPANのコンペの結果報告がまだでした。280のエントリーがあって、最優秀賞が9、金賞が111、銀賞が74。「ガリラヤのシンディアナ」のオリーブオイルは銀賞でした。超高級オリーブオイルばかりが並ぶ中、まずまずの結果だと思います(100cで1万円、というようなオリーブオイルもありました)。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=61


2013/04/23(火) 22:44|震災

それぞれの選択鵺(「てとてと春2013」)

 大好評だった『てとてと秋2012』から半年。『てとてと春2013』ができました。
 今回は「それぞれの選択鵺」として、農家さん、パン屋さん、陶芸家さんなど、宮城県の各地で、放射能に向き合いながら生業を続けている皆さん、移住して再スタートした皆さんの声が寄せられています。一人一人の人たちが、具体的に何を考え、どう対応して暮らしているのか。それをぜひ、知って頂きたいと思います。故郷を離れた人だけ生活が一変したのではないのです。残った人たちも、とくに、自然に添った暮らしをしていた人ほど、原発事故後は、同じ場所に暮らしながら、今までとは違う生活、対応をせざるえないのです。そして、それは毎日のことであり、これからもずっと続くことです。

 印象的だった、最初の農家さんの言葉をいくつか抜粋します。
(部分抜粋ですから、意図がずれて伝わる可能性もあります。ぜひ、お買い求めになって記事全体をお読み下さい)

「事故の後、ハウスのほうれん草を急いで出荷したんだ。危ないかもしれないと思ったけど測れないし、どうしようかと思ったけど、きれいごとは言っていられなくてさ。生活が懸かっているから出すしかなかったんだ。心の中がとんでもなかった。測りもしていないのにだしているってことが苦しかったなぁ。その代わりどんなこどがあっても露地のほうれん草は出さないって。アスパラは自分ちで取れたものだからうちでは少し食べたけど、出荷はしないで捨てた。市場は出荷停止になっていないから出荷はできたと思うけど、『出せないもんは出せない』、これは直感」
「周りの人たちは気にせずやっているけど、作れる人間と俺みたいに作れない人間といるんだ。農地の状態を見て納得しないうちはできないって思った。ハウス栽培は変わらずにやっているけれど、もしハウスの中も汚染されたら農業はあきらめるかなって思ってた」
「最初は怖くて測れなかったんだ。野菜から調べられなかったもん。ここなら低いだろうと思える場所の土から調べた。受け止められないから自分を慣らすために。だんだん近付いて途中で野菜を測って下限値以下なのを確認してから『ここは高いだろう』というところを測った」

 他の農家さんはこう書いています。
「震災から2年経っての今の心境は、、、。苦悩するチカラを試され続けているということ」
「現状としてはまったく対応は追いついていないし、結果的には難しいしわからないことばかりです。認めたくない心情もあって酒へ逃げる時も多々あります。」

 ぐたぐだな気持ちは文章にならないから、皆さんきちんと書かれていますが。誰も正解を持っている訳でもなければ、割り切れている訳でもありません。文章に書けないこともあるのだろうと想像していただきながら、宮城の現状の一端をぜひお読み下さい。
(私自身は「てとてと」のメンバーではありません。勝手に宣伝係?です。)

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みんなの放射能測定室「てとてと」の通信 『てとてと春 2013』
(1冊 500 円:A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 30 頁フルカラー)
【内容】
○表紙 ---- 写真 : 山中環 /詩 : 三田さえ子 ( てとてと )「かみさまは」
○コラム ---- 素朴料理研究会 : 原田明子 ( てとてと ) 
○日々多感 - 測定室から 
  • 測定室より新企画のご案内と今後の活動についてのご報告 : 北林康
  • みんなの「てとてと」であり続けるために : 杉山仁子
  • 土壌測定から見えてきたもの : 北村保
○特集 それぞれの選択 II~いのちの世界からいただき続けるために 
  • ここで生きる だから測る : 村田町 岡崎秀夫
  • もっと大事なものは : 角田市 佐藤準一 
  • 前を向いて生きよう ! 宮崎県へ移住 : 匿名希望
  • それでも、人生にイエスという : 名取市 三浦隆弘
  • 見えない雲の下で : 角田市 陶芸家 池田匡優
  • 未来からのまなざし : 宮城県北部 木村さゆり
  • ひっぽのはじめの一歩 ~ 未来に向かって ~: 丸森町 吉澤武志
○てとてと勉強会だより 三田常義/さえ子(てとてと)
○うた「あたし みーにゃん」: しょんつぁん ( てとてと )
○ご報告とお願い : 事務局/編集後記 : 通信班 
○裏表紙 - 夢をみることを思い出した : すみやのくらし : 佐藤光夫/円 ( てとてと )

 みんなの放射線測定室「てとてと」の第三号となる通信「てとてと春 2013」ができあがりました。 前号の「てとてと秋」では「それぞれの選択 今 そしてこれからをたいせつに生きるために」という 特集を組み、3・11 以降、移住、避難、この地に残ることを選択した方々に文章を寄せていただきました。
 「原発事故でこんな大変なことになっているなんて」、「ひとつの正解で片づけられるようなことが起 きているのではない、ということを深いところで気づけた」そして、「そもそも何のためにこうした状 況が起きたのか、目をそらしてはいけないと思った」・・・など、たくさんの声が「てとてと」に届け られました。販売にご協力いただいた方々に心から感謝しています。
 今号では「それぞれの選択II いのちの世界からいただき続けるために」という特集を組み、土に、 山に、田畑で取れる作物に深くつながって暮らしてきた 7 名の方に執筆をお願いしました。食べ物だ けではありません。水も空気もエネルギーも何もかもが自然界からのいただきものです。原発事故で 自然界が汚染されても、それでも、私たち「人間」は、自然界からいただき続けなければ生きていけ ないのです。執筆者の方々も私たちも迷いながら手探りで歩んでいます。このところ盛んにあちこち で目にする「風化」という言葉。放射能汚染のただなかで暮らす人たちは、忘れてしまいたくて「風化」 を口にし、放射能から遠く離れて暮らす方々は忘れてしまっている自分を許すために、社会全体が「風 化」したことにしているのではないか・・・。  一人一人の方が、福島原発事故で起こったこと、それがもたらしたことに思いを運んでくださった なら、きっと変わっていける。どうか執筆者の方々の言葉があなたの胸に届いてくれますように。  なお、売上金はてとてとの活動費にあてさせていただきます。販売にご協力をいただけると嬉しい です。
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【ご購入方法】
  • 冊数、送り先を書いて「てとてと」にご注文ください。電話、FAX、メールのいずれでもかまいません。
  • 送料はご負担いただきますが、10冊以上は送料無料になります。
  • お支払いは後払いです。冊子に郵便払込用紙を同封します。( 振込み手数料はお客様負担になります )
  • バックナンバー『てとてと春 2012』(A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 20 頁フルカラー :2012 年 4 月発行 :300 円 )、  『てとてと秋 2012』(A4 サイズ中綴じ小冊子:上質紙 38 頁フルカラー :2012 年 10 月発行 500 円 )  も在庫ございます。
  • 販売していただける取扱店なども募集中です。( 詳細は直接ご相談下さい )
  • 詳しくは、「てとてと」まで。
〒 989-1241 宮城県柴田郡大河原町字町 200
TEL&FAX 0224-86-3135
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2013/04/23(火) 20:37|震災

甲府から近況

  4月1日に仙台から甲府に引越して来てあっという間に3週間が経ちました。
 皆さんご心配してくださっているようなので(どうもありがとうございます)、簡単に近況報告です。

 新事務所は、いま、オリーブオイルが山積みです。私は段ボールの壁の向こうでパソコンに向かっているので外から見えません! 新スタッフの井上が、入り口近くのわずかなスペースで、検品、荷造りの作業を行っています。パレスチナ・オリーブで働くため、東京から甲府に引越して来てくれました。パレスチナとのかかわりなど、次号、『ぜいとぅーん』で自己紹介してもらう予定なので、お楽しみに!
 新シーズンのオリーブオイルが入荷し、ご予約順に発送中です。今回のオリーブオイルはフルーティーで濃厚、まろやか。ここ何年かで一番の美味しさではないかと思っています。4月27日(土)、28日(日)には、二子玉川でのOLIVE JAPANに参加します。こういった商業ベースのイベントに出るのは初めてですが、生産者団体「ガリラヤのシンディアナ」から、このオリーブオイルコンテストにオリーブオイルを出品したいという話があって、私たちもマルシェに出店することにしました。上位に入賞して注目されたらどうしよう、と心配しています、、、?!

 引越でお疲れでしょう、、、という暖かいお言葉もたくさん頂きました。
 最近、体がとても軽くなり、今日、はたと、「震災以来、初めて、きちんと睡眠を取っている」ということに気がつきました。
 仙台でも、疲れ果てて風邪引いて一日ダウンとか、パレスチナから帰って来た直後に20時間連続で寝た、とかはあったのですが。疲れが取れた感じはなく、そして、二日以上連続で睡眠時間を十分取る余裕は、2年間ありませんでした(たんに夜型生活を直せず、ずるずる過ごしていたとも言えますが)。
 これが、被災地から離れて暮らすということなのでしょうか。
 余震のほとんどない場所で。震災のかけらも感じない、美しい山並みが見える穏やかな春の日々。息子とキャッチボールをして、腕が筋肉痛、、、。
 気持ちの方はラクでもあり、ホームシックの気持ちもあり、です。私は出身・実家は新潟ですが、仙台に住んで約20年で震災に遭いました。震災後に急に東北人アイデンティティが生まれた感じです(自分でもインチキっぽいなあと思いますが、アイデンティティって何かあったときに芽生える、気がつくものですよね)。仙台大好き!ではなかったけれど(ごめんなさい)、仙台・宮城は大好きな友人・知人・仲間がたくさんいるところ、です。
 市外局番の022をつけないで仙台に電話をしてしまって(しかも何度も)、寂しい気持ちになったり。毎朝、河北新報をネットで見ていたり(でも、ネットには全部は載らないので、仙台の友人に後日まとめて河北新報を送ってもらっています)。

 新聞などの報道によれば、震災から2年経ってのアンケート等で数字に表れているものだけでも、精神的な疲れやストレスが増しています。アルコール依存、飲酒事故、鬱など精神疾患による公務員の休職、仮設住宅での精神疾患の危険、DVや児童虐待、、、の増加。
 震災から数年後が一番きつい、とよく言われます。私は、震災直後に(数ヶ月は震災真っ最中の気持ちでしたし)「いまだって十分大変だよ!」と思いましたが。辛い出来事から2年な訳ではなく、震災当日のことだけでも十分辛い人が多いだろうに、震災による辛いことは日々続いていて、それを一つ一つ乗り越えて毎日生きていかなければいけない、その疲れがたまってくるのだと思います。地震も津波も原発事故も、です。理不尽なことは、原発事故だけでなく、地震・津波の被害への対応でもたくさん(対応しきれないほど)起きています。こんなことを書いていると、「まだ震災とか言ってるの?」なんて思う人がいたりするのかな、とも思います。でも、20年たっても30年たっても、震災で変わってしまったものは戻ってこないだろうし、思い出したら辛い、という人もいると思うのです。励ましでも「そんなことばっかり言っていないで、もっと前向きに」なんて言葉はかけてはいけないのだろうと思います(私が言われた訳じゃないです)。
 だからと言って、みんなが毎日、陰鬱に暮らしている訳ではありません。それは、パレスチナの人が毎日嘆いて暮らしている訳ではないのと同じだと思います。そこにも、楽しい毎日の暮らしがあります。私も、です。

 移転手続き関係を含めあれこれ仕事が滞り、あちこちご迷惑もかけているので、よく寝たと大きな声では言えませんが。ちょっと、ねじ巻いて行きます! これから、仙台・宮城のみんなと、どう一緒にやっていくか、何ができるか。改めて考え中です。山梨県、そしてお隣の長野県の皆さんとのつながりも少しずつできてきています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=59


2013/03/02(土) 00:08|震災

仙台・宮城の状況2013(放射能関連)

 ブログをさぼりすぎて、何から書いてよいやら、、、ですが、おおよそ時系列で書きます。

 1月5日だったか、パレスチナから仙台に帰って来て、新聞(河北新報)で最初に目についたのは「福島第一原発の汚染水が満杯」という記事。アナザーワールドに帰ってきてしまったなあと思いました。パレスチナから仙台に帰って来たのに「非日常な世界」に帰って来たという思い。パレスチナも、占領が日常となった、イスラエル(軍)によるコントロールが完成されてしまった「非日常が日常になってしまった世界」なのに。もちろん、パレスチナにも仙台にも、ご飯食べて学校や仕事に行って、洗濯して掃除して、、という当たり前の暮らしが同時にあるわけですが。
 ちなみに、河北新報の2013年1月1日の社説は、村雲司さんの『阿武隈共和国独立宣言』(現代書館)の紹介で始まりました。『阿武隈共和国独立宣言』の中では、2013年3月11日、放射能に汚染された村の老人たちが国と刺し違える覚悟で独立を宣言します。社説の後半から2ヶ所抜粋します。
*****
 沖縄では一向に解決しない基地問題へのいら立ちから、「沖縄への差別」と指摘する人が増えている。
 宮里政玄琉球大名誉教授は差別の根底に「最大多数の最大幸福を目指し、人口の少ないところ、経済的に弱いところに犠牲を強いる功利主義がある」と指摘。原発にも同じ構造を見て取る。
*****
「阿武隈村」の独立を荒唐無稽と切って捨てることは簡単だが、東北の位置付けを変えずして、どんな復興策も未来を照らし出すことはない。
*****

 河北の社説だけでなく。この2年、何度か友人たちと「みちのく独立国(独立党)」の話をしました。私たち、核(放射性物質)武装できるんだ、、、というのは、本を読むまで気がつきませんでしたが(そして、こういうことネット上で書くと逮捕されてしまう時代なんでしょうか。いや、やりませんよ、、、というか、できません)。前置き終わります!

(1)「てとてと」
 宮城県南部にある「みんなの放射線測定室 てとてと」。そのメンバーである三田さんのインタヴューが「宮城の新聞」に載りました(2012年12月25日公開)。「農家による民間放射線測定施設、立ち上げから1周年」という記事ですが、これまで有機農業に取り組んできた三田さんのスタンス、事故後の宮城のことなど、まとまってわかりやすくオススメです。

 1月20日にてとてとの主催で、『内部被ばくを生き抜く』上映とお茶っこのみのみ交流会がありました。
 てとてと運営委員の皆さん手作りスイーツが美味しかった〜というのはさておき。私は「保養コーナー」を担当しました。何組かのみなさんと一緒に、ゆっくり保養・移住情報を話せて良かったです。皆さん、具体的に情報を探していらっしゃいましたし、資料を持ち帰ってくださいました。
 そして、「でも、誰もほよ〜ん相談会のサイトを知らなかった」と報告したら、てとてと子どもみやぎなどのサイトに「ほよ〜ん相談会」「ソカイノワ」「うけいれ全国」のリンクを貼ってくれました。とても嬉しかったです。ネットを使う人には便利な一覧です。

 さらに。大反響だった「てとてと秋2012」に続いて、いま「てとてと春2013」が鋭意、編集中となっています! 宮城の各地で工夫しながら生業を続けている皆さん、移住して再スタートした皆さんの声が集まっています。3月下旬に発行したらまたお知らせします。


(2)おとのわ
 2月3日に行われた「おとのわ」は今年も大盛況に終わりました。入場者はおそらく400人+子ども100人以上。この人数であたたかな空間・時間をつくってしまうのが何よりすごいです。
 『おとのわ』は、 東北から子ども達の安全な未来とあたらしい暮し方を自分たちの手で育み、発信していけるよう音楽をエネルギーに、歌い、踊り、つながり合う場。本当に手作りのイベントですが、ライブあり(おとのわ)、トークあり(かたりのわ)、カフェあり(おいしいわ)、ショップあり(もののわ)、ワークショップあり(つくるわ)、情報コーナーあり(おしらせのわ)、子どもの広場あり(こどものわ)、、、、真冬の村祭り。
 おとのわの中心スタッフで「book cafe火星の庭」の前野久美子さんが「おとのわ」への思いを書いています。

 せんだいコミュニティカフェt,able(タブレ)は「もののわ」ブースとして参加し、雑貨やCD、古本、被災地支援として作られた商品、沖縄・伊江島から届いた「はなつちの会」のお野菜とみんなの放射線測定室「てとてと」で計測し不検出の三田さんのお野菜、そして昨年に続き人参ジュースなどなどメンバーに関わりがある品々を販売しました。→おとのわでの紹介はこちら、コミカフェのブログでの報告はこちらです。

 そして、私は、今回「おしらせのわ」を担当しました。放射能についての情報(宮城県内の活動と、県外の保養など支援関連、福島の情報)/震災支援についての情報(手仕事支援など)/「食」についての情報(自然食品店やナチュラル系のカフェなどお店の紹介)/イベント、アートの情報(映画、演劇、音楽、展覧会など)/沖縄についての情報/もののわ出店者の情報など。
 放射能に関心がある人はもう少ないかも、、、と思い、チラシを頼んだ方には「20〜30部で十分だと思います」なんて言ってしまっていたのですが、とんでもない見込み違いでした。
 宮城県内の活動情報も、県外の保養支援や、原子力資料情報室や「ふぇみん」の若干固そうな資料も、仙台市の自然食品店やナチュラルカフェのチラシも、あっと言う間になくなりました(残念ながら、食にも放射能にも関係なさそうなチラシは減りませんでした)。
 まだまだ情報を欲しい人がいるんだ、一般になかなか話題に上らなくなってきているからこそ情報が欲しいのかも、普段は子どももいて気にはなっているけど自分であれこれ調べるところまで余裕がない人がもらってくれたんだろうか、、、などといろいろ思いました。
 JANICの福島事務所で働く友人からあれこれから送ってもらった、福島各地の通信などもファイルにしたのですが、これも多くの方が見てくださいました。放射能測定室の結果一覧を見ていた方もいらっしゃいました。
 「おしらせのわ」では、長机3つに置いたたくさんのチラシの間に、宮城県南部の角田市に住む山中環さんの写真を飾らせて頂きました。それで、とっても素敵な雰囲気になったと思います。この後、山中さんは「てとてと」でも写真展を行いました(本職は石の彫刻家さんです)。No Nukes Photoは印刷自由だそうです。ぜひご覧になりご活用下さい! 私も、ひな祭りトーク&ウォークに持って行こうかな、、、。

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(3)汚染牧草・稲わら・ほだ木の焼却
 2月13日の新聞で「宮城県は12日、福島第1原発事故で放射性物質に汚染された牧草や稲わらなどの処理方針を固めた。牧草は市町村が一般廃棄物として焼却処理することを明記した。」という記事を目にして、衝撃を受けました。8000ベクレル(以下)のものを燃やすなんて信じられない、、、。毎日、対応しきれないたくさんのことがあってたいていのことには(よくないことに)まひしているのですが、愕然としました。

*ちなみに汚染拡散として各地で焼却が問題となっている「がれき」はキロあたり100ベクレル以下の汚染です。拡散には反対していますが、桁の違う話。「がれき」も毎日、仙台・宮城で燃やされ続けていますが、、、。

 でも、各農家や各畜産農家での保管が限界だったのは分かっていたこと(覆っているビニルシートが破け始めたりしているそうです)。岩手県では既に汚染牧草の焼却が始まっています。代替案が必要です。
 記事によれば、「国の基準(1キログラム当たり8000ベクレル)を超える「指定廃棄物」を除く県内の汚染牧草は4万1000トン」「汚染されたほだ木(2万9000トン)も市町村が焼却処理することとした」「汚染稲わら(4800トン)は焼却した場合、8000ベクレルを上回る可能性が高いため、基準以下の稲わらを含め、国が今後建設する指定廃棄物の最終処分場への埋め立てを要望していく」、、、。

 26日に、県内の18団体の連名で、宮城県に申し入れが行われました。まずは説明を求める申し入れです。とにかく、これからです。
 放射性物質の(再)拡散だけでなく、焼却場で働く人の被ばくは防ごうと努力されるのだろうか、健康調査はされるのだろうか、そういうことも個人的には心配です。

 こんなことずっと続くんでしょうか(続くんでしょう)。「もう放射能は飽きた〜。他のこと話したい〜」こんな声多数! でも、取り組んでいくしかないのを知っています。
 こんなことを書いていると、宮城でまだまだやることがあると思ってしまいます。でも、私は同時に9歳の息子のお母さん。息子の住む甲府から宮城にかかわっていくしかありません。(まとめて書くから長くなってしまいます。読んで下さってありがとうございます!)
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=58


2013/02/22(金) 20:44|パレスチナ

パレスチナ訪問と甲府引越のお知らせ

あまりに目まぐるしい毎日でブログが更新できずにいました。いまも、1週間1週間、一つ一つこなしていく毎日です。

 2012年最後のブログに「年末年始は息子と旅行」と書いたので、友人から「どこへ行ったの〜?」と年賀状をもらったりしましたが、パレスチナに行って来ました! 
 息子にとっては初の海外旅行。息子は英語もアラビア語も全くできませんが、パレスチナの子どもたちと、キャッチボールしたり、ゲームをしたり、兎を追いかけ回したり、、、楽しく遊びました。また行きたいと言っています。
 パレスチナにはほぼ毎年訪問していましたが、震災以降はさすがに時間と気持ちの余裕がなく、2年ぶりの訪問となりました。この訪問を報告した通信『ぜいとぅーん』50号を1月末に発行していましたが、やっとパレスチナ・オリーブのサイトにもアップしました。生産者の皆さんのこと、町の様子などもりだくさんで書きました。よろしければお読み下さい。 
 そして、50号では、パレスチナ・オリーブが4月からしばらく甲府に拠点を移すこともお知らせしました。明日何が起こるかわからない毎日だから、とりあえずの移転です(会社の登記は仙台に残し、甲府事務所から荷造り・発送する形になります)。パレスチナ・オリーブの仕事としても、コミュニティカフェ等の活動のためにも、今度は、甲府から時々仙台に通います。
 通信を発送後、多くの方から「苦渋の決断だったでしょうが家族と一緒に住めるのが何よりですね」と応援の声を頂きました。しかし、辛く悲しいことですが、震災後すぐに家族関係が複雑になりましたので、「避難移住した父子に合流」ではないのです。でも、多様な「家族」関係がある昨今ですから(多様な社会の方が望ましいと思っています)、私なりに少しは幸せな形を探そうと思います。

 2013年も(結局!)余震の続く仙台。多くの友人たちが、震災・原発事故に向き合って、それでも楽しく伸びやかに幸せに生きていこう、そのためにつながっていこう、と仙台・宮城に残って活動しています。そして、一人また一人仙台・宮城を去って行く中、「それぞれの選択だよね。離れてもつながっていこう」と、寂しくても暖かく送りだしてくれた人たち。それは全体から見たら少数派でしょう。でも、震災前からナチュラルな暮らしを志して来た仲間たちだから、様々な選択がありました。
 仙台・宮城情報も、書きたいことがたまっています。来週にはまたブログをアップしたいと思います! いまさらですが、今年もよろしくお願いいたします。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=57


2012/12/23(日) 02:04|-

「モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。」

 今年もあとわずかになりました。
 2012年は1月1日の地震で始まり、、まだ毎日、地震があります、、、。

 9月5日のブログに書きましたが、9月から「せんだいコミュニティカフェ準備室」は「コミュニティカフェt,able (タブレ)」として動き始めました。カフェトーク企画、「みちのくらし」は12月19日に第4回が終わりました。日系ブラジル2世のヴァレリアさんのトーク(お父さんが赤ちゃんの時に移民しているので体験的には3世に近いのだと思います)。コーヒー畑から綿花畑に移ったおじいさんの体験、都市に出て来たお父さんの体験、ルーツに戸惑って育ちながら、デカセギを経てルーツに出会っていったヴァレリアさんの体験、、、それは、本当に生きた歴史でした。そしてルーツである仙台市の蒲生地区が津波に飲まれてしまった中で、震災支援に奔走したこと。なんという縁なのだろうと思いました。また、ヴァレリアさんが最後に「みんながごちゃごちゃに生きるのがいい」と言っていたのも印象に残りました。詳細は、後日、タブレのサイトに報告が載りますのでぜひお読み下さい。
 これまでの「みちのくらし」はどれも、私自身がゲストの皆さんから話を聞きたくて、みんなで話がしたくて、立ててしまった企画です(今後は他のメンバーの企画も予定)。どの回も、とても面白く、参加した皆さんにも喜んで頂きました。参加した皆さんの話もいつも興味深いです。

  • 8月26日 プレ企画「福島と、フェスと、僕の毎日」 ゲスト:南兵衛さん
  • 9月9日 第1回「ラディカル・カフェ in 仙台」 ゲスト:佐藤円さん
  • 10月3日 第2回 「3・11 ふるさと気仙沼からイラクの友を想う」 ゲスト:相沢恭行さん(PEACE ON)
  • 11月8日 第3回「食と農。震災1年半後に描く未来図」 ゲスト: 石森秀彦さん(小さき花 市民の放射能測定室仙台)
  • 12月19日 第4回「故郷を離れ暮らすこと。そうして繋がる文化と人」 ゲスト:大槻ヴァレリアハルエさん

 これらの企画は参加費を頂いていますが、それだけでは赤字の企画です。参加費を上げると参加しにくい。人数を増やせばゆっくりお互いに話ができない。でも、みんなで話をする「場」は求められている、、、。皆さまからコミカフェに寄せられた寄付や、食材のカンパで、ここまで続けられています。本当にどうもありがとうございます。
 そして2012年2月に行われ大反響があった「おとのわ」。形は変わりますが、同じ会場で来年も2月3日に行われます!

 今年も本当に皆様に支えられて過ごしました。どうもありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。

追伸:この1年は、息子に会いに行くため、隔週、移住先の甲府に通う日々でした。年末年始は2人で旅行に行って来ます!
 (私の家族事情はさておき)多くの離散家族が一緒に過ごせますように。そして、安心な場所で一緒に暮らせるようになりますように。子どもがいてもいなくても、老若男女、誰に対してであっても「被ばく」を強要する社会や政府を変えていけますように。
 地震や津波で被災した人たちも安心して暮らせますように(いま、みな、家の修繕や再建に多額の費用がかかることに頭を悩ませていらっしゃいます)。最後に。人の力ではどうにもなりませんが、お願いだから、余震はもう終わりますように。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=56


2012/12/08(土) 02:16|震災

「脱被ばく」を!

 今日の地震は津波を伴ったこともあり、ざわざわした気持ちになりました。危機感を煽るため、というのは分かりますが「東日本大震災を思い出してください、直ちに避難してください」とラジオで繰り返されるのは、あまりいい気持ちではありません。石巻で1メートルの津波が観測されたのを始め、仙台市沿岸を含み宮城県内は各地で津波が観測されました。そして、今日の宮城県内は最高気温が5度以下の場所が多かったです。寒くて暗い中、避難した人たちは本当に落ち着かない気持ちで過ごしていらしていると思います。
 電話が地震から1時間程度でつながるようになったのにはホッとしました(しばらくは仙台市内へも県外へもつながりませんでしたが)。仙台市内は、沿岸部の道路が封鎖になったためか、みなが家路を急いだためか、光のページェントの初日だったせいか(!)、あちこちすごい渋滞でした。
 車のガソリンが半分くらいだたので、一応、満タンにしようとしたら、近所のガソリンスタンドは通常21時までの営業なのに19時半に行ったら既に閉店していました。他のガソリンスタンドでも灯油やガソリンを買い求める人で混雑、、、帰りには渋滞に巻き込まれて、近所のガソリンスタンドに行って帰るだけで1時間近くかかってしまいました。

 そして、今日も繰り返された「この地震の影響で、いまのところ原発に新たな異常はありません」という言葉。私たちは、これから何十年も何百年ももっと、、、地震のたびに(廃炉になるまでの)原発や放射性廃棄物の保管施設の心配を続けなければなりません。脱原発は絶対に必要、それ以外の選択なんてない。
 でも、選挙戦も始まり「脱原発」が焦点になる中、「脱被ばく」はどこへ行ってしまったのだろうと思うのです。集団疎開や保養、避難の権利、健康調査、医療費の減免はなぜ話題にならないのだろう? 脱原発も絶対重要だけれど(宮城県は、県知事があんなに地震で壊れた女川原発を動かす気満々ですし)、起きてしまった事故への対応も、全然、まだ進んでいないこと、忘れて欲しくないと思うのです。例えば、12月末で新たな県外への避難者への住宅補助が打ち切られようとしています。それを国の責任で延長します!という政党がどこかにいないでしょうか、、、(いま打ち切られようとしているのは福島県から県外への自主避難者への住宅補助です。宮城やその他の地域からの避難者への補助は最初からないか打ち切られています)
 そして、被ばくは福島の問題だけだと思われていないだろうか(思わされていないだろうか)という懸念が最初からあります。
 選挙ですっとんでしまっている感がありますが、6月に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」の具体的な中身が1月にも決められると言われていたこともあり、市民の側からたくさんの意見が出ています。支援の内容も大切ですが、その「支援対象地域」がどこになるのかも難しいけれど大事な問題です。
 先日「子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク」では、原発事故 子ども・被災者支援法」に関して要望書を提出しました。宮城県も支援法の「支援対象地域」にすることなどを求めています。関東でホットスポットの地域の皆さんも独自に、支援対象地域に関東のホットスポットも加えるよう、関係省庁に働きかけています。


 個人的には、もう、放射性物質が通り過ぎた全ての地域を支援対象地域にして避難の権利などを補償して、(比較のこともあるので)311以降日本にいる全ての子どもたち(もちろん日本国籍者でも外国籍者でも無国籍者でも!)に健康調査をして欲しいです。
 そして、避難したくても自主避難はできない人たちもずっといます。ふくしま集団疎開裁判、大事だと思っています。応援しています(いま、仙台高裁にかかっています)。

 宮城県には、震災前から「反原発」だったはずの国会議員が何人もいました。でも、震災後、「脱被ばく」のために何をしたのか、全然わかりませんでした。私はすごく怒っています。一方、斎藤やすのりさんは事故後すぐにガイガーカウンターを手に入れて公園などを計測して発表したり、国会で、仙台の学校給食や焼却炉の問題などを質問したり、と「脱被ばく」に目に見えて取り組んでくれました。どうしてもまた議員になって国会に戻って欲しいです。

 全国的に全く話題になりませんでしたが、10月28日に白石市長選挙がありました。白石市は福島県と宮城県の県境で放射性物質がたくさん降ってしまったところです。ここで自民・民主が相乗りし、自治会や商工業会の推薦などを受けた現職の風間市長が、民主党を離党した無所属の沼倉さんにたった800票という僅差でからくも勝ちました。沼倉さんは、放射能対策について「国や県に関係なく、市民にとって必要な事業は市独自でも取り組む」と主張して立候補してくれました。本当に惜しかったです。
 政治に過剰に期待はしていません。でも、立法府も司法府も行政府もちゃんと役割を果たしてくれないと困ります。あきらめたくないです。
 そして「脱原発」だけでなく「脱被ばく」ももっと話題になるよう伝えていきたいです。

追伸:ちょっと力の入り過ぎた投稿になりました、、、私は新潟市生まれ新潟市育ちです。私が小学生〜大学生のとき、ずっと「巻原発」が気になっていました。巻原発は住民投票や町長選挙で原発計画を止めました(巻町が当時、新潟市のベッドタウンとなっていった、という背景もあるでしょうが)。Yes, We Can!! あ、もう死語?
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=55



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