2013/04/23(火) 20:37|震災

甲府から近況

  4月1日に仙台から甲府に引越して来てあっという間に3週間が経ちました。
 皆さんご心配してくださっているようなので(どうもありがとうございます)、簡単に近況報告です。

 新事務所は、いま、オリーブオイルが山積みです。私は段ボールの壁の向こうでパソコンに向かっているので外から見えません! 新スタッフの井上が、入り口近くのわずかなスペースで、検品、荷造りの作業を行っています。パレスチナ・オリーブで働くため、東京から甲府に引越して来てくれました。パレスチナとのかかわりなど、次号、『ぜいとぅーん』で自己紹介してもらう予定なので、お楽しみに!
 新シーズンのオリーブオイルが入荷し、ご予約順に発送中です。今回のオリーブオイルはフルーティーで濃厚、まろやか。ここ何年かで一番の美味しさではないかと思っています。4月27日(土)、28日(日)には、二子玉川でのOLIVE JAPANに参加します。こういった商業ベースのイベントに出るのは初めてですが、生産者団体「ガリラヤのシンディアナ」から、このオリーブオイルコンテストにオリーブオイルを出品したいという話があって、私たちもマルシェに出店することにしました。上位に入賞して注目されたらどうしよう、と心配しています、、、?!

 引越でお疲れでしょう、、、という暖かいお言葉もたくさん頂きました。
 最近、体がとても軽くなり、今日、はたと、「震災以来、初めて、きちんと睡眠を取っている」ということに気がつきました。
 仙台でも、疲れ果てて風邪引いて一日ダウンとか、パレスチナから帰って来た直後に20時間連続で寝た、とかはあったのですが。疲れが取れた感じはなく、そして、二日以上連続で睡眠時間を十分取る余裕は、2年間ありませんでした(たんに夜型生活を直せず、ずるずる過ごしていたとも言えますが)。
 これが、被災地から離れて暮らすということなのでしょうか。
 余震のほとんどない場所で。震災のかけらも感じない、美しい山並みが見える穏やかな春の日々。息子とキャッチボールをして、腕が筋肉痛、、、。
 気持ちの方はラクでもあり、ホームシックの気持ちもあり、です。私は出身・実家は新潟ですが、仙台に住んで約20年で震災に遭いました。震災後に急に東北人アイデンティティが生まれた感じです(自分でもインチキっぽいなあと思いますが、アイデンティティって何かあったときに芽生える、気がつくものですよね)。仙台大好き!ではなかったけれど(ごめんなさい)、仙台・宮城は大好きな友人・知人・仲間がたくさんいるところ、です。
 市外局番の022をつけないで仙台に電話をしてしまって(しかも何度も)、寂しい気持ちになったり。毎朝、河北新報をネットで見ていたり(でも、ネットには全部は載らないので、仙台の友人に後日まとめて河北新報を送ってもらっています)。

 新聞などの報道によれば、震災から2年経ってのアンケート等で数字に表れているものだけでも、精神的な疲れやストレスが増しています。アルコール依存、飲酒事故、鬱など精神疾患による公務員の休職、仮設住宅での精神疾患の危険、DVや児童虐待、、、の増加。
 震災から数年後が一番きつい、とよく言われます。私は、震災直後に(数ヶ月は震災真っ最中の気持ちでしたし)「いまだって十分大変だよ!」と思いましたが。辛い出来事から2年な訳ではなく、震災当日のことだけでも十分辛い人が多いだろうに、震災による辛いことは日々続いていて、それを一つ一つ乗り越えて毎日生きていかなければいけない、その疲れがたまってくるのだと思います。地震も津波も原発事故も、です。理不尽なことは、原発事故だけでなく、地震・津波の被害への対応でもたくさん(対応しきれないほど)起きています。こんなことを書いていると、「まだ震災とか言ってるの?」なんて思う人がいたりするのかな、とも思います。でも、20年たっても30年たっても、震災で変わってしまったものは戻ってこないだろうし、思い出したら辛い、という人もいると思うのです。励ましでも「そんなことばっかり言っていないで、もっと前向きに」なんて言葉はかけてはいけないのだろうと思います(私が言われた訳じゃないです)。
 だからと言って、みんなが毎日、陰鬱に暮らしている訳ではありません。それは、パレスチナの人が毎日嘆いて暮らしている訳ではないのと同じだと思います。そこにも、楽しい毎日の暮らしがあります。私も、です。

 移転手続き関係を含めあれこれ仕事が滞り、あちこちご迷惑もかけているので、よく寝たと大きな声では言えませんが。ちょっと、ねじ巻いて行きます! これから、仙台・宮城のみんなと、どう一緒にやっていくか、何ができるか。改めて考え中です。山梨県、そしてお隣の長野県の皆さんとのつながりも少しずつできてきています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=59


2013/03/02(土) 00:08|震災

仙台・宮城の状況2013(放射能関連)

 ブログをさぼりすぎて、何から書いてよいやら、、、ですが、おおよそ時系列で書きます。

 1月5日だったか、パレスチナから仙台に帰って来て、新聞(河北新報)で最初に目についたのは「福島第一原発の汚染水が満杯」という記事。アナザーワールドに帰ってきてしまったなあと思いました。パレスチナから仙台に帰って来たのに「非日常な世界」に帰って来たという思い。パレスチナも、占領が日常となった、イスラエル(軍)によるコントロールが完成されてしまった「非日常が日常になってしまった世界」なのに。もちろん、パレスチナにも仙台にも、ご飯食べて学校や仕事に行って、洗濯して掃除して、、という当たり前の暮らしが同時にあるわけですが。
 ちなみに、河北新報の2013年1月1日の社説は、村雲司さんの『阿武隈共和国独立宣言』(現代書館)の紹介で始まりました。『阿武隈共和国独立宣言』の中では、2013年3月11日、放射能に汚染された村の老人たちが国と刺し違える覚悟で独立を宣言します。社説の後半から2ヶ所抜粋します。
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 沖縄では一向に解決しない基地問題へのいら立ちから、「沖縄への差別」と指摘する人が増えている。
 宮里政玄琉球大名誉教授は差別の根底に「最大多数の最大幸福を目指し、人口の少ないところ、経済的に弱いところに犠牲を強いる功利主義がある」と指摘。原発にも同じ構造を見て取る。
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「阿武隈村」の独立を荒唐無稽と切って捨てることは簡単だが、東北の位置付けを変えずして、どんな復興策も未来を照らし出すことはない。
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 河北の社説だけでなく。この2年、何度か友人たちと「みちのく独立国(独立党)」の話をしました。私たち、核(放射性物質)武装できるんだ、、、というのは、本を読むまで気がつきませんでしたが(そして、こういうことネット上で書くと逮捕されてしまう時代なんでしょうか。いや、やりませんよ、、、というか、できません)。前置き終わります!

(1)「てとてと」
 宮城県南部にある「みんなの放射線測定室 てとてと」。そのメンバーである三田さんのインタヴューが「宮城の新聞」に載りました(2012年12月25日公開)。「農家による民間放射線測定施設、立ち上げから1周年」という記事ですが、これまで有機農業に取り組んできた三田さんのスタンス、事故後の宮城のことなど、まとまってわかりやすくオススメです。

 1月20日にてとてとの主催で、『内部被ばくを生き抜く』上映とお茶っこのみのみ交流会がありました。
 てとてと運営委員の皆さん手作りスイーツが美味しかった〜というのはさておき。私は「保養コーナー」を担当しました。何組かのみなさんと一緒に、ゆっくり保養・移住情報を話せて良かったです。皆さん、具体的に情報を探していらっしゃいましたし、資料を持ち帰ってくださいました。
 そして、「でも、誰もほよ〜ん相談会のサイトを知らなかった」と報告したら、てとてと子どもみやぎなどのサイトに「ほよ〜ん相談会」「ソカイノワ」「うけいれ全国」のリンクを貼ってくれました。とても嬉しかったです。ネットを使う人には便利な一覧です。

 さらに。大反響だった「てとてと秋2012」に続いて、いま「てとてと春2013」が鋭意、編集中となっています! 宮城の各地で工夫しながら生業を続けている皆さん、移住して再スタートした皆さんの声が集まっています。3月下旬に発行したらまたお知らせします。


(2)おとのわ
 2月3日に行われた「おとのわ」は今年も大盛況に終わりました。入場者はおそらく400人+子ども100人以上。この人数であたたかな空間・時間をつくってしまうのが何よりすごいです。
 『おとのわ』は、 東北から子ども達の安全な未来とあたらしい暮し方を自分たちの手で育み、発信していけるよう音楽をエネルギーに、歌い、踊り、つながり合う場。本当に手作りのイベントですが、ライブあり(おとのわ)、トークあり(かたりのわ)、カフェあり(おいしいわ)、ショップあり(もののわ)、ワークショップあり(つくるわ)、情報コーナーあり(おしらせのわ)、子どもの広場あり(こどものわ)、、、、真冬の村祭り。
 おとのわの中心スタッフで「book cafe火星の庭」の前野久美子さんが「おとのわ」への思いを書いています。

 せんだいコミュニティカフェt,able(タブレ)は「もののわ」ブースとして参加し、雑貨やCD、古本、被災地支援として作られた商品、沖縄・伊江島から届いた「はなつちの会」のお野菜とみんなの放射線測定室「てとてと」で計測し不検出の三田さんのお野菜、そして昨年に続き人参ジュースなどなどメンバーに関わりがある品々を販売しました。→おとのわでの紹介はこちら、コミカフェのブログでの報告はこちらです。

 そして、私は、今回「おしらせのわ」を担当しました。放射能についての情報(宮城県内の活動と、県外の保養など支援関連、福島の情報)/震災支援についての情報(手仕事支援など)/「食」についての情報(自然食品店やナチュラル系のカフェなどお店の紹介)/イベント、アートの情報(映画、演劇、音楽、展覧会など)/沖縄についての情報/もののわ出店者の情報など。
 放射能に関心がある人はもう少ないかも、、、と思い、チラシを頼んだ方には「20〜30部で十分だと思います」なんて言ってしまっていたのですが、とんでもない見込み違いでした。
 宮城県内の活動情報も、県外の保養支援や、原子力資料情報室や「ふぇみん」の若干固そうな資料も、仙台市の自然食品店やナチュラルカフェのチラシも、あっと言う間になくなりました(残念ながら、食にも放射能にも関係なさそうなチラシは減りませんでした)。
 まだまだ情報を欲しい人がいるんだ、一般になかなか話題に上らなくなってきているからこそ情報が欲しいのかも、普段は子どももいて気にはなっているけど自分であれこれ調べるところまで余裕がない人がもらってくれたんだろうか、、、などといろいろ思いました。
 JANICの福島事務所で働く友人からあれこれから送ってもらった、福島各地の通信などもファイルにしたのですが、これも多くの方が見てくださいました。放射能測定室の結果一覧を見ていた方もいらっしゃいました。
 「おしらせのわ」では、長机3つに置いたたくさんのチラシの間に、宮城県南部の角田市に住む山中環さんの写真を飾らせて頂きました。それで、とっても素敵な雰囲気になったと思います。この後、山中さんは「てとてと」でも写真展を行いました(本職は石の彫刻家さんです)。No Nukes Photoは印刷自由だそうです。ぜひご覧になりご活用下さい! 私も、ひな祭りトーク&ウォークに持って行こうかな、、、。

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(3)汚染牧草・稲わら・ほだ木の焼却
 2月13日の新聞で「宮城県は12日、福島第1原発事故で放射性物質に汚染された牧草や稲わらなどの処理方針を固めた。牧草は市町村が一般廃棄物として焼却処理することを明記した。」という記事を目にして、衝撃を受けました。8000ベクレル(以下)のものを燃やすなんて信じられない、、、。毎日、対応しきれないたくさんのことがあってたいていのことには(よくないことに)まひしているのですが、愕然としました。

*ちなみに汚染拡散として各地で焼却が問題となっている「がれき」はキロあたり100ベクレル以下の汚染です。拡散には反対していますが、桁の違う話。「がれき」も毎日、仙台・宮城で燃やされ続けていますが、、、。

 でも、各農家や各畜産農家での保管が限界だったのは分かっていたこと(覆っているビニルシートが破け始めたりしているそうです)。岩手県では既に汚染牧草の焼却が始まっています。代替案が必要です。
 記事によれば、「国の基準(1キログラム当たり8000ベクレル)を超える「指定廃棄物」を除く県内の汚染牧草は4万1000トン」「汚染されたほだ木(2万9000トン)も市町村が焼却処理することとした」「汚染稲わら(4800トン)は焼却した場合、8000ベクレルを上回る可能性が高いため、基準以下の稲わらを含め、国が今後建設する指定廃棄物の最終処分場への埋め立てを要望していく」、、、。

 26日に、県内の18団体の連名で、宮城県に申し入れが行われました。まずは説明を求める申し入れです。とにかく、これからです。
 放射性物質の(再)拡散だけでなく、焼却場で働く人の被ばくは防ごうと努力されるのだろうか、健康調査はされるのだろうか、そういうことも個人的には心配です。

 こんなことずっと続くんでしょうか(続くんでしょう)。「もう放射能は飽きた〜。他のこと話したい〜」こんな声多数! でも、取り組んでいくしかないのを知っています。
 こんなことを書いていると、宮城でまだまだやることがあると思ってしまいます。でも、私は同時に9歳の息子のお母さん。息子の住む甲府から宮城にかかわっていくしかありません。(まとめて書くから長くなってしまいます。読んで下さってありがとうございます!)
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=58


2013/02/22(金) 20:44|パレスチナ

パレスチナ訪問と甲府引越のお知らせ

あまりに目まぐるしい毎日でブログが更新できずにいました。いまも、1週間1週間、一つ一つこなしていく毎日です。

 2012年最後のブログに「年末年始は息子と旅行」と書いたので、友人から「どこへ行ったの〜?」と年賀状をもらったりしましたが、パレスチナに行って来ました! 
 息子にとっては初の海外旅行。息子は英語もアラビア語も全くできませんが、パレスチナの子どもたちと、キャッチボールしたり、ゲームをしたり、兎を追いかけ回したり、、、楽しく遊びました。また行きたいと言っています。
 パレスチナにはほぼ毎年訪問していましたが、震災以降はさすがに時間と気持ちの余裕がなく、2年ぶりの訪問となりました。この訪問を報告した通信『ぜいとぅーん』50号を1月末に発行していましたが、やっとパレスチナ・オリーブのサイトにもアップしました。生産者の皆さんのこと、町の様子などもりだくさんで書きました。よろしければお読み下さい。 
 そして、50号では、パレスチナ・オリーブが4月からしばらく甲府に拠点を移すこともお知らせしました。明日何が起こるかわからない毎日だから、とりあえずの移転です(会社の登記は仙台に残し、甲府事務所から荷造り・発送する形になります)。パレスチナ・オリーブの仕事としても、コミュニティカフェ等の活動のためにも、今度は、甲府から時々仙台に通います。
 通信を発送後、多くの方から「苦渋の決断だったでしょうが家族と一緒に住めるのが何よりですね」と応援の声を頂きました。しかし、辛く悲しいことですが、震災後すぐに家族関係が複雑になりましたので、「避難移住した父子に合流」ではないのです。でも、多様な「家族」関係がある昨今ですから(多様な社会の方が望ましいと思っています)、私なりに少しは幸せな形を探そうと思います。

 2013年も(結局!)余震の続く仙台。多くの友人たちが、震災・原発事故に向き合って、それでも楽しく伸びやかに幸せに生きていこう、そのためにつながっていこう、と仙台・宮城に残って活動しています。そして、一人また一人仙台・宮城を去って行く中、「それぞれの選択だよね。離れてもつながっていこう」と、寂しくても暖かく送りだしてくれた人たち。それは全体から見たら少数派でしょう。でも、震災前からナチュラルな暮らしを志して来た仲間たちだから、様々な選択がありました。
 仙台・宮城情報も、書きたいことがたまっています。来週にはまたブログをアップしたいと思います! いまさらですが、今年もよろしくお願いいたします。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=57


2012/12/23(日) 02:04|-

「モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。」

 今年もあとわずかになりました。
 2012年は1月1日の地震で始まり、、まだ毎日、地震があります、、、。

 9月5日のブログに書きましたが、9月から「せんだいコミュニティカフェ準備室」は「コミュニティカフェt,able (タブレ)」として動き始めました。カフェトーク企画、「みちのくらし」は12月19日に第4回が終わりました。日系ブラジル2世のヴァレリアさんのトーク(お父さんが赤ちゃんの時に移民しているので体験的には3世に近いのだと思います)。コーヒー畑から綿花畑に移ったおじいさんの体験、都市に出て来たお父さんの体験、ルーツに戸惑って育ちながら、デカセギを経てルーツに出会っていったヴァレリアさんの体験、、、それは、本当に生きた歴史でした。そしてルーツである仙台市の蒲生地区が津波に飲まれてしまった中で、震災支援に奔走したこと。なんという縁なのだろうと思いました。また、ヴァレリアさんが最後に「みんながごちゃごちゃに生きるのがいい」と言っていたのも印象に残りました。詳細は、後日、タブレのサイトに報告が載りますのでぜひお読み下さい。
 これまでの「みちのくらし」はどれも、私自身がゲストの皆さんから話を聞きたくて、みんなで話がしたくて、立ててしまった企画です(今後は他のメンバーの企画も予定)。どの回も、とても面白く、参加した皆さんにも喜んで頂きました。参加した皆さんの話もいつも興味深いです。

  • 8月26日 プレ企画「福島と、フェスと、僕の毎日」 ゲスト:南兵衛さん
  • 9月9日 第1回「ラディカル・カフェ in 仙台」 ゲスト:佐藤円さん
  • 10月3日 第2回 「3・11 ふるさと気仙沼からイラクの友を想う」 ゲスト:相沢恭行さん(PEACE ON)
  • 11月8日 第3回「食と農。震災1年半後に描く未来図」 ゲスト: 石森秀彦さん(小さき花 市民の放射能測定室仙台)
  • 12月19日 第4回「故郷を離れ暮らすこと。そうして繋がる文化と人」 ゲスト:大槻ヴァレリアハルエさん

 これらの企画は参加費を頂いていますが、それだけでは赤字の企画です。参加費を上げると参加しにくい。人数を増やせばゆっくりお互いに話ができない。でも、みんなで話をする「場」は求められている、、、。皆さまからコミカフェに寄せられた寄付や、食材のカンパで、ここまで続けられています。本当にどうもありがとうございます。
 そして2012年2月に行われ大反響があった「おとのわ」。形は変わりますが、同じ会場で来年も2月3日に行われます!

 今年も本当に皆様に支えられて過ごしました。どうもありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。

追伸:この1年は、息子に会いに行くため、隔週、移住先の甲府に通う日々でした。年末年始は2人で旅行に行って来ます!
 (私の家族事情はさておき)多くの離散家族が一緒に過ごせますように。そして、安心な場所で一緒に暮らせるようになりますように。子どもがいてもいなくても、老若男女、誰に対してであっても「被ばく」を強要する社会や政府を変えていけますように。
 地震や津波で被災した人たちも安心して暮らせますように(いま、みな、家の修繕や再建に多額の費用がかかることに頭を悩ませていらっしゃいます)。最後に。人の力ではどうにもなりませんが、お願いだから、余震はもう終わりますように。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=56


2012/12/08(土) 02:16|震災

「脱被ばく」を!

 今日の地震は津波を伴ったこともあり、ざわざわした気持ちになりました。危機感を煽るため、というのは分かりますが「東日本大震災を思い出してください、直ちに避難してください」とラジオで繰り返されるのは、あまりいい気持ちではありません。石巻で1メートルの津波が観測されたのを始め、仙台市沿岸を含み宮城県内は各地で津波が観測されました。そして、今日の宮城県内は最高気温が5度以下の場所が多かったです。寒くて暗い中、避難した人たちは本当に落ち着かない気持ちで過ごしていらしていると思います。
 電話が地震から1時間程度でつながるようになったのにはホッとしました(しばらくは仙台市内へも県外へもつながりませんでしたが)。仙台市内は、沿岸部の道路が封鎖になったためか、みなが家路を急いだためか、光のページェントの初日だったせいか(!)、あちこちすごい渋滞でした。
 車のガソリンが半分くらいだたので、一応、満タンにしようとしたら、近所のガソリンスタンドは通常21時までの営業なのに19時半に行ったら既に閉店していました。他のガソリンスタンドでも灯油やガソリンを買い求める人で混雑、、、帰りには渋滞に巻き込まれて、近所のガソリンスタンドに行って帰るだけで1時間近くかかってしまいました。

 そして、今日も繰り返された「この地震の影響で、いまのところ原発に新たな異常はありません」という言葉。私たちは、これから何十年も何百年ももっと、、、地震のたびに(廃炉になるまでの)原発や放射性廃棄物の保管施設の心配を続けなければなりません。脱原発は絶対に必要、それ以外の選択なんてない。
 でも、選挙戦も始まり「脱原発」が焦点になる中、「脱被ばく」はどこへ行ってしまったのだろうと思うのです。集団疎開や保養、避難の権利、健康調査、医療費の減免はなぜ話題にならないのだろう? 脱原発も絶対重要だけれど(宮城県は、県知事があんなに地震で壊れた女川原発を動かす気満々ですし)、起きてしまった事故への対応も、全然、まだ進んでいないこと、忘れて欲しくないと思うのです。例えば、12月末で新たな県外への避難者への住宅補助が打ち切られようとしています。それを国の責任で延長します!という政党がどこかにいないでしょうか、、、(いま打ち切られようとしているのは福島県から県外への自主避難者への住宅補助です。宮城やその他の地域からの避難者への補助は最初からないか打ち切られています)
 そして、被ばくは福島の問題だけだと思われていないだろうか(思わされていないだろうか)という懸念が最初からあります。
 選挙ですっとんでしまっている感がありますが、6月に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」の具体的な中身が1月にも決められると言われていたこともあり、市民の側からたくさんの意見が出ています。支援の内容も大切ですが、その「支援対象地域」がどこになるのかも難しいけれど大事な問題です。
 先日「子どもたちを放射能から守るみやぎネットワーク」では、原発事故 子ども・被災者支援法」に関して要望書を提出しました。宮城県も支援法の「支援対象地域」にすることなどを求めています。関東でホットスポットの地域の皆さんも独自に、支援対象地域に関東のホットスポットも加えるよう、関係省庁に働きかけています。


 個人的には、もう、放射性物質が通り過ぎた全ての地域を支援対象地域にして避難の権利などを補償して、(比較のこともあるので)311以降日本にいる全ての子どもたち(もちろん日本国籍者でも外国籍者でも無国籍者でも!)に健康調査をして欲しいです。
 そして、避難したくても自主避難はできない人たちもずっといます。ふくしま集団疎開裁判、大事だと思っています。応援しています(いま、仙台高裁にかかっています)。

 宮城県には、震災前から「反原発」だったはずの国会議員が何人もいました。でも、震災後、「脱被ばく」のために何をしたのか、全然わかりませんでした。私はすごく怒っています。一方、斎藤やすのりさんは事故後すぐにガイガーカウンターを手に入れて公園などを計測して発表したり、国会で、仙台の学校給食や焼却炉の問題などを質問したり、と「脱被ばく」に目に見えて取り組んでくれました。どうしてもまた議員になって国会に戻って欲しいです。

 全国的に全く話題になりませんでしたが、10月28日に白石市長選挙がありました。白石市は福島県と宮城県の県境で放射性物質がたくさん降ってしまったところです。ここで自民・民主が相乗りし、自治会や商工業会の推薦などを受けた現職の風間市長が、民主党を離党した無所属の沼倉さんにたった800票という僅差でからくも勝ちました。沼倉さんは、放射能対策について「国や県に関係なく、市民にとって必要な事業は市独自でも取り組む」と主張して立候補してくれました。本当に惜しかったです。
 政治に過剰に期待はしていません。でも、立法府も司法府も行政府もちゃんと役割を果たしてくれないと困ります。あきらめたくないです。
 そして「脱原発」だけでなく「脱被ばく」ももっと話題になるよう伝えていきたいです。

追伸:ちょっと力の入り過ぎた投稿になりました、、、私は新潟市生まれ新潟市育ちです。私が小学生〜大学生のとき、ずっと「巻原発」が気になっていました。巻原発は住民投票や町長選挙で原発計画を止めました(巻町が当時、新潟市のベッドタウンとなっていった、という背景もあるでしょうが)。Yes, We Can!! あ、もう死語?
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=55


2012/12/04(火) 23:51|パレスチナ

続:ガザ緊急行動

(1)前回のブログでお知らせした通り、11月25日に「停戦しても占領とガザ封鎖は続いている/STOP!!ガザ攻撃 11・25緊急集会」が東京で開かれました。その会場で、ネタニヤフ・イスラエル首相とバラク国防大臣宛の申し入れ書への署名を集めたほか、玄葉光一郎外部大臣への申し入れ書への賛同を募ったそうです。イスラエルの方は既に署名用紙を送付し受付は終了しましたが、玄葉外務大臣宛の申し入れ書については、12月10日(月)まで賛同者を募っています。
 申し入れの文章(ガザ侵攻:イスラエルの軍事行動・市民攻撃を即時停止させるために日本国外務省は積極的に影響力を行使することを求める)と署名の方法については「STOP!!ガザ攻撃緊急行動」のサイトをご覧下さい。

(2)
 ガザの子どもたちを長年支援している「パレスチナ子どものキャンペーン」では、「ガザ攻撃による心的ストレスへの緊急対応プログラム」を既に始めたそうです。また、ガザの支援先の皆さんの声、様子なども随時掲載されています。→ガザ報告

(3)
 P-navi infoさんのブログで、翻訳を中心にガザの様子が伝えられています。


 繰り返しになりますが、報道がなくなっても問題は解決していない!です。
 パレスチナも津波・地震被災地も、原発事故被ばく地もです。(沿岸部を訪れる県外の皆さんが、「え〜、(津波にのまれて以来)何も変わっていないのですね」と驚くことに驚きます。まだ、住める地域、住めない地域の区分けさえ途中で、仙台市の沿岸部も、何もない風景が広がっています。農地再生に向けて、ボランティアの皆さんがこまかい「がれき」を手で拾っていたりします。まだまだ被災地は人手不足です。よろしくお願いします。)

追伸:「パレスチナ」が国連の「オブザーヴァー国家」になりましたが、イスラエルは国連決議への報復として(!)、決議の翌日、エルサレム地区を含むヨルダン川西岸地区での入植者住宅3,000戸建設計画に、ゴーサインを出しました。これによって、周辺に暮らす約2,300人のパレスチナ人が強制追放となる危険があります。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=54


2012/11/23(金) 00:04|パレスチナ

「停戦」でも、、、

 現地時間21日(日本時間22日)、ハマースとイスラエルの停戦が成立しました。報道によれば8日間の攻撃でパレスチナ人160人以上(大半が子どもを含む一般住民)が殺され、1,000人以上が負傷しています。イスラエル人は5人がロケット攻撃などで殺さました。International Middle East Media Centerは、亡くなったパレスチナ人157名の名前と年齢を載せています(死傷者の写真が含まれています)。
 「停戦」しても亡くなった人は帰って来ません。子どもたちを含め、傷ついた人の気持ち、悲しみや怒りは残ります。学校やお店が再開し、暮らしは落ち着きを取り戻すかもしれません。でも、占領とガザ封鎖は続いています。攻撃の前も後も構造は変わっていないのです。
 何が問題なのか、何ができるのか。一緒に考えていきましょう。今週末の緊急アクションは以下の通りです。私自身は緊急行動に参加できずに心苦しいのですが、とりあえず(?)、日々、公正な平和を願ってオリーブ商品を売ってます!


(キャンドル・ビジルに関してはサイト上のお知らせが見当たらなかったので「アル・ガド」さんにリンクしました。「パレスチナ/イスラエル関連を中心としたイベント、テレビ番組、書籍、映画などの情報メモ」が一覧となっているありがたいサイトです)

 英語で読めるパレスチナ・メディアのサイトも例えば以下のようなものがあります(死傷者の写真が載っていることがありますのでお気をつけ下さい)。パレスチナはアラビア語ですが、小学校1年生から英語の勉強も始まります。今回も、メディアだけでなく、普通の人(?!)が、ツイッターやフェイスブックなどSNSを使って、英語でも発信し状況を伝えました。



追伸:
 こんなことを書いている一方で。今朝も(22日)夜中の2時半に地震で起こされました。また、地震の影響による建物の取り壊し、道路や下水道間の修理などで、1年9ヶ月、延々と騒音や(放射能まじりの?)粉塵が続いています。人不足、資材不足で遅れていることも原因のようです。
 パレスチナや被災地、被ばく地のことを考えて、10月に出した『ぜいとぅーん』のタイトルを「理不尽な世界であきらめずに楽しく生きる」としたら、多くの方から共感の声を頂きました(沖縄・辺野古からも)。皆さん、それぞれの場所でそう思って生きているのだと改めて考えさせられました。(とても正直に言えば、私自身は「理不尽な世界であきらめずに楽しく生きられたらいいなあ」という気持ちなのですが。)
 以下、先月書いた通信原稿ですが、改めて載せてみます。

編集後記(『ぜいとぅーん』49号より)
 パレスチナの人たちは、納得いかない不正義が続く状況の中でも、それぞれの生活を楽しんで生きています。それは、占領状態をないことにするとか、向き合わない、ということとは違うと思います。私たちも、地震・津波・原発事故をなかったことにすることが、前向きに生きるすべではないでしょう。非日常が日常になった中で、改めてパレスチナから学ぶことがたくさんあるように思います。世界から見捨てられていないと感じること、その大切さも改めて少しわかるようになりました。皆さん、ありがとうございます!
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=53


2012/11/20(火) 22:23|パレスチナ

占領を止めるために

 情報は入って来るのですが、発信が間に合わずすみません。攻撃が始まって7日目、死者111人、負傷者750人という数字です(数字にすれば、、、です)。本当に、刻々と死傷者が増え続けています。
 ガザ地区は常に攻撃にさらされ、閉じ込められています。でも、今回の攻撃は、2008年末から2009年1月にかけて、約1,400人が殺された攻撃を思い起こさせます。構造はほとんど変わっていません。もう一度振り返る意味があると思います。

 私は、2009年1月、ガザへの地上侵攻の最中に、イスラエル、パレスチナの生産者を訪問していました。ヨルダン川西岸地区でも、ガリラヤ地方でも、みながテレビを付けっぱなしにして怒り悲しみながら、日常生活を送っていました。
(『ぜいとぅーん』35号、2009年2月6日発行より)

 そして、以下の本が、今回の攻撃を考える上でも参考になると思います。当時、イスラエルによるガザ空爆・侵攻を受けて緊急に発表した「ガザ以前、ガザ以後」もまとめられています。
サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ――パレスチナの政治経済学』

(岡真理・小田切拓・早尾貴紀編訳、青土社)、2011年11月発売、定価2600円+税
紹介文章(『ぜいとぅーん』38号、2009年11月6日発行より)


 いま、私たちができることとしてボイコットの呼びかけもされています。
 ヒューレッド・パッカード社は占領下のパレスチナ人を管理するためのイスラエル軍検問所における生体認証システムを開発し納入しています。私は最近まで知らずに、ヒューレッド・パッカードのプリンタを使い続けていて、愕然としました。

 本当は、いま、パレスチナはオリーブ収穫の美しい季節です。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=52


2012/11/20(火) 00:07|パレスチナ

ガザ・緊急行動

 イスラエル軍は空と海からガザ地区への攻撃を続けていますが、さらに、地上戦の準備まで伝えられています。19日夜のNHKニュースでは、ガザ地区の死者は92人と報道していました。いま(23時現在)アル・ジャジーラの英語ニュースサイトを読むと死者は94人。ガザの保健省によれば、少なくても23人の子どもと5、6人の女性が含まれていると書かれています。怪我人も数百人を超え、ガザの病院は大変なことになっているようです。一人一人が家族や友人たちにとって(自分自身にとっても)かけがえがなく、被害を数字で測れるものでは決してありませんが、刻々と死傷者数が増えていることは(止められないことが)やりきれません。
 週末にもイスラエル大使館前などで緊急の抗議行動が行われましたが、今後も東京、関西などで緊急集会が企画されています。(東京は予定が確定次第お知らせします)。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=51


2012/11/17(土) 07:12|パレスチナ

またもガザ攻撃

 ブログに他にも書きたいことはありますが、ニュース等でご存知のように、またガザ攻撃が始まってしまいました。ここ数日で、パレスチナ人19人(子ども6人と妊娠中の女性を含む)、イスラエル人3人が殺され、ガザ地区のパレスチナ人には多数の怪我人も出ています。
 軍事攻撃がないときでも、イスラエルの占領による苦しみは常にあるわけですが、家族を突然失う悲しみ、避難を余儀なくされること、いまその辛さをより切実に感じます。

 マアン(主にイスラエル内、エルサレムのパレスチナ人労働者のための独立労組。近年は、ヨルダン渓谷のイスラエルの工場で働くパレスチナ人やイスラエル内で働く外国人労働者も支援しています)から以下の呼びかけが届きました。
 分析等、全てに共感しているわけではありませんが、ネタニヤフ政権の勝手な事情(選挙のために人が殺されていい訳がありません!)の参考に翻訳しました。また、マアンはガザ地区のハマス政権に辛口ですが、ヨルダン川西岸地区のファタハ政権も支持しているわけではありません。急ぎのため(英語力の問題ももちろん)粗い訳で失礼します。→原文

ストップ ガザ攻撃!

 独立労組マアンは、ガザ攻撃(戦争)の終了、イスラエルの占領の終了、1967年の境界線に基づいた2国家解決案を求めます。

 2012年11月14日に始まったガザ地区に対するイスラエルの軍事作戦は、4年間を無駄にした右派であるネタニヤフ政権の結果です。ネタニヤフ政権は、ヨルダン川西岸地区と東エルサレムからの撤退について、パレスチナ人と協議することを、頑固に拒否してきました。そして、パレスチナの土地への入植地の拡大を続け、入植地でファシスト・ギャングが強大化するのを見逃して来ました。
 和平交渉(ピース・プロセス)は深い昏睡状態にあり、イスラエルは何一つ解決できない暴力の期間に入ってしまっています。イスラエルの指導者たちは、南部の市民を守ると宣言していますが、みなが知っているように、それは、実のところ、一時的な停戦を意味するに過ぎません。イスラエルのもくろみは、ガザ地区とヨルダン川西岸地区とを切り離した状態にしておいて、いかなる解決の見通しも不可能にしつつ、事実上西岸地区をイスラエル側に併合することです。ハマスが、自らの管理下にガザを起き続けるためにこの切り離しに合意しているという意味で、それはネタニヤフが受け入れられるパートナーということになります。この戦争(ガザ攻撃)で人々は恐怖に陥り、ハマスはイスラエルに都合のいい窮地へと追い込まれます。
 さらに。ネタニヤフ政権は、この戦争を隠れ蓑に、通常のイスラエルの社会的ニーズから人々の目をそらさせようとしています。特に、20人の金持ちに国家資産を売って以来、いっそう厳しさを増しているイスラエル南部のニーズをゆがめています。
 テルアビブの一角に立つと、ビバリーヒルズにいるように感じるかもしれません。しかし、今日、(南部の)ネゲブ砂漠のアラブの町、ユダヤの町では、貧困、失業、公的サービスの削減を見て取ることができます。ネタニヤフ政権が苛酷な緊縮財政プログラムを押し進めていることは周知の事実です。今度の選挙で票を失うことを恐れ、(選挙の)政治課題を一転させることをもくろみ、不必要な戦争を始めました。既に、数十人の死者が出ていますが、まだ続いています。
 ユダヤ人労働者とアラブ人労働者が平等につながっている独立労組である私たちは、真の階級の敵を利する、この流血の戦争に無関心ではいられません。私たちは、今日、パレスチナの同胞たち、ガザ地区とヨルダン川西岸地区の労働者や貧しい人々と共にあります。彼らが、もっとも重く戦争の対価を支払っているのです。
 私たちは、イスラエルの右派政権とガザ地区のハマス政権だけがこの戦争の利益を受け取っていると知っています。両者とも交渉を拒否しています。過激主義が支持されている中で、1967年境界線の両側で(イスラエルでもパレスチナでも)労働者たちは苦しんでいます。
 私たちは、これまでずっと、労働運動の中で、パレスチナ人の同胞、そしてイスラエル人の労働者の側に立ち、戦争に反対してきました。私たちは、国際的な労働運度に以下のことを呼びかけます。ガザ攻撃を止めるように先頭に立って要求して行くこと。イスラエルの占領に反対する、しっかりとした立場を取ること。エルサレムを首都としたパレスチナの独立国家の確立に基づいた平和的解決を進めるように要求すること。金を無駄遣いするだけの戦争をやめて、これらの要求が満たされたときに初めて、きちんとした仕事、教育、健康を提供できる二つ国家をつくることが可能になります。
2012年11月16日
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=50



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