2012/09/07(金) 01:30|震災

除染

 私は夏の暑さに異常に弱いのですが、やっと夜は涼しくなって来たので、ブログを一気に更新です!

 宮城県も、重点調査地域(*)を中心に、除染が各地で始まっています。基本的に、除染は移染でしかない上に、時期が遅い(1年半も経ちました!)、やり方がまちまち、私有地の除染は個人に任せられている、除染に従事している人の健康が心配など、問題山積です。

【重点調査地域】放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染状況重点調査地域。宮城県は9市町村が指定されています。1時間あたり0.23マイクロシーベルト以上の区域を対象に調査、除染を実施。

 宮城県南部の白石市が広報がpdfでサイトに上がっています。除染のスケジュールや水田への塩化カリウム散布、薪風呂などの焼却灰の処分の注意(各家庭で保管)、、、事故から1年半経ってこういう状況。辛い気持ちになりました。

 これらのことは、私にも全く他人事ではありません。以下、ご参考まで(6月のことですが、書こうと思っている間に3ヶ月過ぎてしまいました)。

* * * * *
 去年5月、ガイガーカウンターを手に入れて自宅周辺を計測したところ、自宅前の道路の側溝が地表近くで1.0マイクロシーベルト前後で、その後もずっと0.7~0.8マイクロシーベルト程度ありました。坂道の下のために側溝に土が堆積していたのです。しかし、鉄製のふたが外せず、汚染土をどうすればよいのかもわからないので、やむなく放置していました。

 今年の6月1日。
 0.23の除染基準も一応できたので、お昼前に突然思い立って、仙台市の危機管理室に電話して対応を求めました。危機管理室では、まず地上何cmで計測したのか確認されました。0.23の基準は地表ではない、と。「問い合わせはあるのですが、50cmで計測すると基準値以下なんですよ」
 とは言うものの、仙台市太白区の道路課につないでくれ、夕方、さっそく道路課の方が来て地上50cmで計測してくれました。問い合わせや計測は多いのでしょうか。手慣れた感じでした。
 結果は、5回連続計測で、0.31~0.33くらい。
 区役所の人は、側溝が仙台市の市道かどうか、とても気にしていました。側溝より内側は確実に市道なのですが、側溝は市道と私道の境界で微妙だったのです(私の所有地ではないです)。
 そして、この側溝が市道に入るのだったら「仙台市の市道で初めての基準値超え」と言っていました(測っていないだけでしょうけれど。そんなことあるのでしょうか、、、と思いました)。
 側溝が私有地ならば、民間で掃除するべき、ということのようでした。
「費用は東電に請求すればよいのか?」「除染業者を紹介してくれるのか?」「(基準値超えの)汚染土はどこに処分するのか?」なども訊いてみましたが、全然わからないとのこと。
 いずれにしろ、まず、下水道課に連絡すると言っていたので、私も様子を見ることにしました。

 6月6日。
 突然、「仙台市から清掃を頼まれた」ということで、委託された民間業者の方が調査に来ました(たまたま自宅にいたから気がつきましたが、私には何の連絡もありませんでした)。
 放射線量が特別高い側溝の端だけでなく、土砂がたまっているところ全体の「掃除」を頼まれたそうです。「気をつけてくださいね」と防塵マスクも渡そうとしましたが、いらないと言われました。「福島では、もっとすごいところやっているから〜。いま、汚染土が処理ができないから(置く場所がないから?)、清掃を止められているくらい」=ここはたいしたことがない、と。
 地表で0.7マイクロだったら、キロあたり8000ベクレル以下、の処理基準も超える可能性もあります。土砂が堆積していなかれば、たんに川や海に流れ出ていた放射性物質たちなのでしょうけれど、、、。

 仙台市の危機管理室に「除染」を求めた結果が「掃除」(民間業者委託)。
 とりあえず電話、と思って対応を求めましたが、そんなにすぐに対処してくれると思っていませんでしたし、全体の「清掃」になるとも思っていませんでした。水で濡らして機械(車)で吸い込み、どこかに運ぶ、、、。除染はして欲しいけれど、どこかで適当に処理されるのも困る。とても対応を迷いました。
 自分に余力があれば、適切な処置を求めるとか、除染前に「清掃ではなく除染だから気をつけるように」と近所に知らせるとか、マスコミや議員にも知らせてみる、とかいろいろ方法はあったと思います。忸怩たる思いです。結果として、私は経緯をいくつかのMLに流して情報共有することしかできませんでした。

 6月7日。
 6日に調査があり、7日に清掃が始まりました。9時〜17時に「側溝の清掃をします」ということで、仙台市と業者の連名で近所にチラシが配られました(「除染」とは一言も書いてありませんでた)。小中学生の登校は終わった時間帯です。土に水をかけ、バキュームカーのような車に吸い込んで行いく、という方法でした。側溝にブルーシートをかけながら汚泥を吸い込んでいましたので、そんなに飛び散らなかったと思います。こぼれた汚泥、水は洗い流していました。ミニホットスポットは、40〜50センチ四方、深さも40センチくらいだと思いますが、結局、2日間かけて、道路200~300メートルくらいの両側の側溝を全て掃除してくれました(場所によっては泥もたまっておらず、そこは放射線量も低いですが)。
 作業員さんたちは普通の道路工事の格好でした。吸い込まれた汚泥は、会社で処理した後、最終処分場に運ばれる、と聞きました(処分場は仙台市の隣でした)。
 また、「除染」を求めたのに「清掃」になった件について、仙台市の危機管理室に電話して確認しました。担当の方は「それは言い方に過ぎません。除染には清掃、覆土、撹拌などありますが、今回は取り除く、ということで」と話していました、、、。
 「清掃」の結果、地表5センチで0.7~0.8マイクロあった場所が、0.1以下になりました。側溝というコンクリートの箱にあった汚染土がそっくりなくなったわけです。
 自宅の前から汚染土がなくなったとはいえ、汚染土としてではなく、通常の汚泥として処理されてしまった、というグレー決着で大変複雑な気持ちになりました。

 結局改めて思い知らされたのは「宮城でも福島でも、汚染物質を管理するための施設がまだないんです。遅いですが」と危機管理室の人さえ認めていたことでした。

josen

* * * * *

 それから3ヶ月。ちょうど、河北新報に福島県の除染に関する記事が載りました。

 地元の河北新報(東北地域をカバー)、震災後に購読を始めました。原発事故の問題に限らず、まだまだ毎日、震災関連ニュースです。サイトで読める記事もありますので県外の皆さんもたまに読んでみてください!

オススメ
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=46


2012/09/05(水) 23:02|震災

コミュニティカフェ t,able

 8月30日の早朝に久しぶりに大きな地震がありました。仙台市内は震度4〜震度5強。自宅も仕事場も被害はありませんでした。でも、ヘリコプター、消防車、救急車の音が続き、震災当日の夜を思い出しました。ラジオを付ければ、高速道路が(検査のため)全面通行止め、線路も点検中。「福島第一原発、第二原発、女川原発はいまのところ異常なし、、、」というニュース。揺れそのものより、付随するものが精神的に嫌な感じです。友人たちも、ショックを受けたと言っている人が多かったです。
 こちらは、まだまだ「震災後」で、県外で「風化」が話題になっていると聞くとびっくりしてしまいます。

  ブログでもずっと書いて来ましたが、震災直後から「場」が必要だ!と思い、皆様のカンパに支えられ、「せんだいコミュニティカフェ準備室」として活動して来ました。
 そして、準備室は「コミュニティカフェt,able (タブレ)」として動き始めました! まだ、実店舗はありませんが、場所を借りながら、カフェトークやイベント販売、情報発信を充実させていきます。
 その活動の一つとして「モノとチエをもちより、かんがえ、わかちあう。みちのく+くらし。」をコンセプトにした「みちのくらし」という企画がスタートしています。8月26日に行われたプレトークは「福島と、フェスと、僕の毎日」(ゲスト:南兵衛さん)。おいしいごはんと、豊富な話題で盛り上がり、ノンストップでみんなの話が続きました。9月9日に行われる第1回は「ラディカル・カフェ in 仙台」(ゲスト:佐藤円さん)です。ちなみに、ラディカル・カフェラディ(通称:ラディカフェ)とは、=radiationラディエーション(放射線)+軽くしよう(したい)+カフェ、です。詳しくはコミカフェのサイトをご覧下さい。第2回、第3回、、、と続々、企画中です。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=45


2012/08/29(水) 16:00|その他

パレスチナ映画/震災映画

 『壊れた5つのカメラ』が9月下旬から日本で公開されるのに先駆けて、二人の監督が来日してのトークイベントが、8月30日(木)〜9月2日(日)に東京、浦安、大阪で行われます(詳しい時間と場所はサイトでご覧下さい)。
 パレスチナ・ビリン村(ヨルダン川西岸地区)に暮らす村人が、息子の誕生で手に入れたビデオカメラで、隔離壁の建設などに抗議する非暴力直接抵抗運動を記録していく。それを描いたドキュメンタリー映画です。ビリン村で農業を営んでいたイマード・ブルナートさんがカメラを持ち、イスラエル人監督のガイ・ダビディさんと共同で作り上げています。そのお二人が来日する貴重な機会です。また、各地での劇場公開が始まりますので、チェックしてみてください。

 話変わって。
 たくさんの震災映画の公開が始まりました。宮城の津波被災地を撮ったもの、福島の原発事故災害を撮ったものがほとんどのようです。私は、申し訳ないけれどまだ映画を見る気持ちにはなれず、震災映画はほとんど見ていません。どこかから誰かがやってきて、撮って作品にしていく。決して否定するつもりはありませんが(本当です)、複雑な気持ちになります。もちろん、一度来て撮っていく人、定期的に通って撮った人、住んで撮った人、震災前から被災地に繋がりがあった人、なかった人。立場も撮り方も様々でしょう(見ていないので内容はわかりません)。でも、どこかで、地元の人が撮ったものなら見てみたいかな、と思ってしまいます。偏見だとは自覚しているのですが。そして、地元の人が映像なり何なり作品を作っていくのはまだ早いのだろうな、、、とも思います。
 パレスチナも多くの人が訪れ、報道し、作品を作ってきている場所です。一方で、地元のパレスチナ人が撮った多くのドキュメンタリーやノンフィクションの映画も増えました。機材が手軽になって作品が増えたのか、DVDなどで簡単に見られるようになったので多くなったように感じるのかはわかりません。いろいろなパレスチナ映画(英語字幕付き)のDVDが通販などで買えます。

 話、ちょっとずれて。
 先週、『ポニョ』が全国的にテレビ放映されました。夏休みにジブリ作品を放送、、、よくあることです。でも、津波を思い起こすシーンがあるのに震災から1年半でもう放送してしまうなんて、とショックでした。『ポニョ』をさすがに震災直後に放送できたとは思えません(ちょっと調べたら、やはり放送禁止だったらしいです。自主規制でしょうけれど)。でも、1年半経ったら、もうそろそろOKと思われるんだ、、、ということがショック。私たちは「震災後」を生きていて(まだ「震災中」と言いたい面すらある)、でも、他の地域の人には過去のことなのかな、、、と。

 また話変わって。
 小説でも、地震・津波や原発事故に触れた作品が出始めています(これまた、ノンフィクションの「震災本」自体はまだ読む気がしなくて、ほとんど読んでいないのですが)。早いなあ、、、と思ってしまいます。「後から批判も出るかもしれないけれど、いま描かずにはいられなかった」というようなことを言っていた漫画家さんもいたので、それぞれ作家さんたちは、葛藤の中で書かれたのだとは思いますが。
 水村美苗さんの『新聞小説 母の遺産』。新聞連載中に震災が起きたので無視もできなかったのかもしれないですが、最後、震災が付け足しに使われたようで、なんだなあ、、、と思いました。『母の遺産』自体は面白く、また、かなりいろいろ身につまされて読んだのですが。
 高橋源一郎さんの『恋する原発』は、いかにも源一郎さんらしい(ちなみに私は20年以上の源一郎さんファンで、学生の頃はコンピューターの壁紙を源一郎さんにしたりしていました、、、)。

 一方、仙台在住の伊坂幸太郎さん。震災後しばらく何も書けなくなったけれど、ファンに「また楽しい作品を書いてください」って言われて、そうか、今まで通り、楽しい作品を書こう、と思った、とどこかで書いていました。震災を挟んでできあがったのが(2012年5月出版で、書くのに「2年半かかった」というから)『夜の国のクーパー』。とても良かったです。好きな作品です。震災を連想させるようなことは一つもないけれど、根底に流れるものが何かあると思います。家族やコミュニティの物語、と書くと陳腐になるけれど(むしろ、戦争の話なので「国家」のことを書いているのですが)。伊坂さんの作品には、やさしさとか、独特の正義感(登場人物が持つこだわりの?倫理観や正義感)があり。
 そして、まだ、読むのはきついかな、と手に取れていなのですが、俵万智さんの『風が笑えば』『俵万智3.11短歌集 あれから』は、近いうちに読みたいと思っています。俵さんは、原発事故により仙台から石垣島に避難移住しました(ちなみに俵さんの息子さんと私の息子は同い年、、、会ったこと全然ありませんが)。

 久しぶりのブログ更新なのに(だから?)、話がずれまくってしまいました。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=44


2012/07/09(月) 21:01|パレスチナ

イスラエル・セキュリティ・イン・ジャパン

福島原発の監視カメラが、イスラエルのマグナー社のものだったことが話題になりましたが、以下のように、かなり問題含みのビジネスセミナーが開かれます。

詳しくは、ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>をご覧下さい。パレスチナ・オリーブも賛同しています。

* * * * *
私たちは「イスラエル・セキュリティ・イン・ジャパン」の開催に反対します

駐日イスラエル大使館経済部のウェブサイト上で告知されている情報によると、来る7月10日、「イスラエル・セキュリティ・イン・ジャパン」という名のついたイベントが、ホテルオークラ東京において開かれます。これは同経済部の主催によるもので、イスラエルの企業13社がさまざまな分野におけるセキュリティに関する自社技術のプレゼンテーションを行ない、日本側参加者との個別会議の場も設けられるとのことです。またイスラエル国防軍の元准将であるアムノン・ソフリン氏(現・イスラエル国立防衛大学講師/民間警備業界コンサルタント)および元大佐のラミ・エフラティ氏(現・イスラエル政府内閣府国家サーバー局部長)による、イスラエルの防衛・公安戦略やイスラエルが有する技術についての講演も予定されています。

参加するイスラエル企業一覧には、それぞれの企業がサイバー空間・公共インフラ・軍事施設・個人資産などの領域におけるセキュリティを手がけていることが示されています。しかしここで「セキュリティ」とだけ表現してしまうと、大きな誤解が生じるでしょう。例えば、イスラエルの国営企業IAI(イスラエル航空宇宙産業)は、その3部門がそれぞれ単独の企業として参加することになっていますが、同社は1974年に「世界で初めて無人偵察機を開発」(同社ウェブサイトより)したイスラエルの軍需産業最大の企業です。今年に入ってからは、同社が「アジアのある国」と16億ドルの武器売却契約を結んだとの報道もなされています。同じく参加予定のエルビット・システムズも、イスラエル国防軍はじめ世界の多くの軍隊を顧客とする軍需産業の代表的企業であり、軍隊における防衛システム導入や技術教育・訓練を請け負っているほか、占領地の分離壁や境界フェンス上に張り巡らされている警備・警報システムを供給しています。

つまり「イスラエル・セキュリティ・イン・ジャパン」とは、イスラエル軍需産業が兵器・防衛システムを開発・生産し、同時に占領下のパレスチナ人を管理・弾圧し続けるなかで「経験」を蓄積し向上させてきた技術を、「セキュリティ」の名のもとに軍事・民事もろとも日本に売り込むための企画なのです。仮に営業の中心が一見「軍事」とは縁遠い警備システムやハッキング/ウイルス対策製品であっても、イスラエルの軍事拡張と占領の維持にとって必要とされた技術が転用されているに過ぎません。

これまでにもイスラエルの企業が産官の連携のもとに、揃って日本で営業活動を行うということは何度もありました。今年2月にも、「イスラエル・テクノロジー・デ−」と銘打たれた催しが、やはりイスラエル大使館経済部の主催によって行われ、日本とイスラエルの経済連携の推進がうたわれました。しかし、このようにイスラエル軍需産業の代表的企業が大手をふるい、揃って日本の企業に売り込みをかけるのは、これが初めてでしょう。私たちはこれを、決して看過してはならない事態だと考えます。

2001年の「9・11」以降、「テロ対策」への取り組みが進展するなか、イスラエルのセキュリティ産業が世界中で急速にシェアを伸ばしたことは、よく知られています。2004年のアテネオリンピックでは、15のイスラエル企業がセキュリティ管理に関わったと伝えられました。また、2008年の北京オリンピックでは、イスラエル企業DDSが選手村を含む10施設のセキュリティ・システムを受注し、今回のイベントの参加企業でもあるNICEシステムズは、北京の地下鉄のセキュリティ・システムを担当しています。

日本においても、これまでイスラエルのセキュリティ関連製品の輸入の増加や、販売代理店の設立などが指摘されてきました。そうした動向の一端を深刻なかたちで示したのが、2011年の福島第一原発事故後のイスラエル側での報道でした。イスラエルのマグナー社が、テロ防止のための監視システムを同原発に供給していたという問題です。この件に関して東京電力が全く情報を公開していないため、詳細は不明のままですが、イスラエル側の報道によれば、マグナー社は福島第一原発だけでなく、日本国内の複数の原発に同社のシステムを導入する契約を行っているとのことです。同社は今回のイベントの参加企業でもあります。

ここまで来ると、問題はイスラエルの軍需・セキュリティ産業の問題だけではないことに気がつきます。日本社会がイスラエルのセキュリティ産業にとって魅力的な市場になり得てしまうのは、それを受け入れ必要とする側の問題でもあるからです。これまでにも私たちは、占領体制のなかで利益を上げているイスラエル企業をボイコットする取り組みを行ってきましたが、日本からイスラエルの企業をシャットアウトしようとするだけでなく、日本社会のあり方を問う視点が必要になっていると考えます。

私たちはすでに、「安全で安心な社会づくり」という名目で進展した日本の管理・監視社会化を「日本のイスラエル化」と捉えて問題化してきました。3・11以降、私たちがつくづくと思い知らされたのは、こうした管理・監視社会こそが原発の推進を可能とする社会であり、セキュリティを口実とした情報の隠蔽や操作を許す社会でもあるということです。核兵器を所有しながら一切の情報公開や査察受け入れを拒むイスラエルの政策を批判しながらも、3・11以前の私たちは、原発という核施設をもつ日本の問題を、この文脈で十分に問題化できずにいました。

こうした反省に立ちながら、私たちは、この「イスラエル・セキュリティ・イン・ジャパン」開催の報に対して抱く私たちの危機意識を、「パレスチナ/イスラエルの問題」、あるいは「パレスチナ/イスラエルに関わる人間」だけの問題意識とするのではなく、現在脱原発や反核・平和の課題に取り組んでいる方々と広く共有してゆきたいと考えます。多くの方々によって「イスラエル・セキュリティ・イン・ジャパン」開催に対して注意の目が向けられ、それぞれの方の抱える課題との接点が見出されることを願い、これを皆様への呼びかけとしたいと思います。

2012年7月7日
ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉
パレスチナの平和を考える会

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=43


2012/06/23(土) 23:02|震災

はなつちの会

 ちょこちょこ紹介しながら、まとめて書けないでいるのですが。
 「はなつちの会」のサイトができました! 沖縄・伊江島から仙台へ野菜を送ることで人と人を繋ぐプロジェクトです。
 要約して紹介することは難しいです。「趣旨とよびかけ」「沖縄からのメッセージ」をぜひお読み下さい。美しい農地の写真も見て欲しいです。

 春休みに息子と伊江島に遊びに行って来たこと、なかなか書けないまま、あっと言う間に3ヶ月経ってしまいました。美しい海も山も満喫しました。でも、伊江島は農民が闘って農地を取り戻した歴史がありますが、未だ島の3分の1がアメリカ軍の軍事基地です。息子は自分たちも乗る一般のフェリーに軍用車が乗り込むのを見て驚いていました。
 土くさい元気な人参を伊江島からたくさん頂いたり。今帰仁から(私たちには)珍しい沖縄野菜を頂いたり。みんなで美味しく楽しませてもらっています。どうもありがとうございます!!

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=42


2012/06/23(土) 21:53|震災

「がれき」焼却

 ブログに書いたり、通信『ぜいとぅーん』にも書いた内容を少し修正しました。ウィンドファームの中村隆市さんが「被災地でも広域でもガレキを焼却してはいけない」としてブログに掲載してくれました。1ヶ月前ですが、、、。自分でも載せます。

5月23日
* * * * *
 放射性物質に限らず化学物質やアスベストなども大量に含んだ「がれき」を遠くに運んでしかも焼却するのには反対です。しかし、宮城県内で、毎日24時間、燃やされ続けてるのも受け入れがたいことです。

 宮城県の津波被災地域各地では、いま、仮設焼却炉が完成し、順次、フル稼働し始めています。仙台は、県内では例外的に、がれきの分別・リサイクルが早く進み、仮設焼却炉も昨年末から稼働しており、仙台のがれき約150万トンを順調に処理しています(リサイクルしていいのかという大きな問題もありますが)。そして、まず、並行して石巻地区のがれき(木屑を中心に)10万トンを受け入れ、早ければ7月から焼却の予定です。このままでは、どんどん宮城県各地のがれきを仙台が処理する流れではないかと思います。
 仙台の3ヶ所の仮設焼却炉のうち、最大の処理能力(一日300トン)は、若林区荒浜の焼却炉。私の自宅から10キロ離れていません。がれきの広域処理阻止、ではなく、焼却阻止、を言わないと、自分たちの上に、再び降って来る放射性物質が増えるだけなのです。
 地震、津波、原発事故とトリプルで被災した宮城県。私たち自身は、なかなか、がれき処理、ゴミ処理まで声をあげる余裕がありません。
 なぜ、「どうやって処理するか」ではなく「どこで処理するか」に焦点がずれてしまったのだろうと思います。どんな施設でどんなふうに燃やされ、灰が処理されているのか。そもそも燃やしていいのか。
 一緒に考えて頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
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 後日談。
 京都から友人が来てくれたので、仙台市沿岸の仮設焼却炉を見に行きました(車で30分程度。いつでも行けると思うと機会がないとなかなか行かないもので)。日曜日でしたが、若林区の2ヶ所のうち、1ヶ所はお休み、1ヶ所は操業中で煙がもくもく出ていて少しくさかったです。お休み中の仮設焼却炉の入り口では、0.08~0.09マイクロシーベルト。操業中の方は(ちょうど煙は私たちの方に向かっていました)0.1マイクロシーベルト前後でしたが、誤差の範囲かよくわかりません。仙台市沿岸部は、津波の後の泥をかき出したためかわかりませんが、土壌汚染は意外に低い、という話も聞きました。仮設焼却炉は昨年末から稼働しているわけですが。
 仮設焼却炉の周り、私たちが子どもと一緒に何度も遊びに行った海岸付近は、、、。震災後、ほとんど変わっていません。基礎だけ残った家々の跡。壊れたままの家。排水システムが壊れたままなので、水がたぷたぷとあふれそうになっている田んぼ(田んぼは、来年もまだ復興は難しそうだという話を聞きました)。でも、畑を復活させるために、畑の中のこまかいがれきを手で取り除いているボランティアの皆さんが活動中でした。

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追伸:さらに後日談。6月19日の河北新報です。

 仙台市は、東日本大震災で発生し市内の仮設焼却炉で処理を進める約24万トンの災害廃棄物について、来年5月末までに処理が終了するとの試算をまとめた。市は当初、来年夏ごろに処理が完了するとの見通しを示していた。
 市によると、6月10日現在で全体の約4割に当たる9万7000トンの処理を終えた。昨年10月に稼働した仮設焼却炉3基が1日約480トンを処理しており、来年5月末ごろには全量を処理できる計算になったという。
 ことし5月に受け入れを表明した石巻地区(石巻市、東松島市、女川町)のがれき10万トンに関しては、当初の予定通り7月までに搬入を開始する考え。これに伴い仙台市の仮設焼却炉の稼働は、来年12月まで続く見通し。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=41


2012/05/15(火) 16:19|震災

お知らせ

 慌ただしい毎日が続き、なかなかブログが更新できずにいます。
 いまは、新シーズンのオリーブオイルの入荷をお知らせするパレスチナ・オリーブの通信『ぜいとぅーん』の原稿書き。そして、5月20日(日)の矢ケ崎克馬さんの仙台講演会の準備で手一杯です。講演会は中身も楽しみですが、これを機会に、宮城県内の市民測定室や事故後の放射能対策に取り組む団体の連携が取れたことが嬉しいです。

 「せんだいコミュニティカフェ準備室」のサイトに、コミカフェの活動報告と会計報告を載せました。遅くなってすみません。他に、矢ケ崎さんの講演会のお知らせ「ふくしまほっこりカフェ」のお知らせも載せています。原発事故によって仙台から県外に避難移住している人たちがいる一方、福島県から仙台圏に移住して来た人も約2000人いらっしゃいます。
 仙台・宮城は、地震・津波もあったため、どうしても放射能問題は他地域に比べて(市民レベルでも)取り組みが遅れがちでしたが、とくに福島県に接する宮城県南部には多くの放射性物質が降り注ぎました。一部で福島県郡山市の子どもより高い被曝が報告されているほどです(ガラスバッチによる計測結果)。今頃、行政が(たいてい移染でしかない)「除染」を始めています。魚や山菜の出荷制限も続いています。

 そして「がれき」の話。どうして「どうやって処理するか」ではなく「どこで処理するか」に焦点がずれてしまったのだろうと思います。放射性物質に限らず化学物質やアスベストを大量に含んだ「がれき」を遠くに運んでしかも焼却するのには反対ですが、宮城県内で、毎日24時間、燃やされ続けているのも受け入れがたいことです。津波被害にあった沿岸地域にも焼却場ができて稼働し始めています。仙台は、仙台のがれき約135万トン(うち焼却予定は約24万トン。仮設焼却炉で焼却)を順調に処理しており、石巻のがれき(木屑など可燃物)10万トンを受け入れ・焼却の予定です。仙台はがれきの分別・リサイクルを進めていてそれはそれで心配です。書きたいことは他にもあるのですが、また後日。

 春休みに、息子と二人で沖縄・伊江島に行って来たことをぜひ報告したいのですが、これもまた後日書きます。震災以来、関西でカンパを集めて頂き伊江島の野菜を仙台に送って頂いていましたが、それが発展して「はなつちの会」が発足しています!
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=40


2012/03/15(木) 02:19|震災

『3.11 キヲクのキロク』

  3月11日の仙台はとても静かでした。
 適切な言葉が思い浮かびませんが、それぞれ個人的に1年を振り返り、死者を悼んでいたように思います。公の追悼式典などはありました(仙台市の死者は約700名だと思っていましたが、仙台市のサイトを確認したら関連死を含めて約900人になっていてショックでした。3月初めには法事を多く目にしました)。

 『キヲクのキロク 市民が撮った3.11大震災』(NPO法人 20世紀アーカイブ仙台)が出ました。震災以来、多くの写真集が出ていますが、これは報道写真とは違う、市民が撮った震災記録です。「被災地の日常」「身近な『生活の中の震災』」
 この写真集を企画した佐藤正実さんがインタヴューの中で語っていたことにハッとして、すぐに本を買いに行きました。

「写真を撮った時のことを聞くと、多くの人たちが『津波の被害を受けていない私たちが話をしても、、』と言う。聞きながら、よりその気持ちが強まりました。例えば仙台市民のほぼ全員が目にし、体験したはずの光景がある。でも、私たち自身が被災の強弱を比べて、それを話すほどの体験でないと決めつけてしまえば、記録するすべきことの多くが語られないまま忘れられていってしまう」

 仙台市民のほぼ全員が目にし、体験したはずの光景、、、給水やスーパーに何時間も並んだ人の列、空っぽのコンビニ、共同生活。あまり報道されなかったのではないでしょうか。非日常が日常になった生活。
 パレスチナの人たちがイスラエル軍に対峙している報道だけでは、パレスチナの生活が伝わらない、と思うことがよくありました。だから、私は、主に生産者を通してですが、パレスチナの人たちの日常生活を伝えようとしてきました。
 同様に、震災の報道写真はどこか生活感がない気がしていました。衝撃的すぎるからでしょうか。暮らしている人が撮った写真ではないからでしょうか。
 仙台市民の私だから、この写真集を特別だと思うのかもしれません。多くの友人・知人たちが撮った写真、写っている写真があり、(写真提供者として)友人・知人たちの体験記録も載っています。
 でも、全国の皆さんにも見て欲しい、そう思ってしまう写真集です。仙台の本屋さんではどこでも買えますが、全国的には、アマゾンとジュンク堂で買えると聞きました。

 せんだいコミュニティカフェ準備室としてかかわった、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の中の「暮らしのシェア」も、仙台市や近郊の生産者さんやお店から話を聞いた生活記録です。あと1回で終わりますが、どれも充実した内容です。ぜひ、ご視聴下さい。

 皆さま、この1年本当にどうもありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。
(私だけでなく友人たちも同様の気持ちになっていて、3月11日は「良いお年を」と言って別れました。)


追伸:言及しない訳にはいかないこと。震災直後、水と食料を求めて何時間も子どもと一緒に外で並んでいたことを、いま後悔している親御さんが多数います。畑の野菜を配り、炊き出しをした農家の方が、ぼそっと「汚染された野菜を配ってしまった」と言ったことがあります。写真集を見れば、壊れた家屋の木材を燃やして暖を取っていた人々の姿があります。いま振り返れば、危険なことです。でも、知らなかった。そして、飢えと寒さで衰弱死した方もいらっしゃった中、他にどうにかできたとも思えません。悔しいです。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=39


2012/02/23(木) 01:12|震災

街のなかの村祭り

  仙台も最高気温が5度を超えるようになり、少し寒さが緩んできました。
 これまでの寒さで、仮設住宅の水道管が凍結・断水して慌てて布をかぶせている、という話を聞いてやりきれない思いでいました。宮城県で水道管むき出しでは凍結するのはわかりきっていることですが、行政の対応は本当に常に後手後手です。

 2月10日の日経新聞の社説に「震災から11ヶ月経ち、被災地では仮設住宅の整備や道路などのインフラの復旧はおおむね終了した。」と書いてあって目が点になりました。どこの話をしているのでしょう? パレスチナ・オリーブの目の前の道路は、「これから補修に入るため3月末まで一車線減少します」と連絡がきました。道路の補修は3年かかると言われています。「路面下空洞」も多数見つかっています。浄化センター(下水処理場)の再建も3年かかるそうです。
 沿岸地域は、利用計画は発表されても異論も多く、交通、電気・水道など何も復旧していません。集団移転のため買い上げとなる土地も、仙台市で坪あたり1万円程度の金額が言われていますが、他の市町村では数千円という話も聞きました。元値をはるかに下回る厳しい価格です。
 近所でも地震で被災した住宅の取り壊しがあちこちで行われています。行政の負担による取り壊しの期限が迫っていることもあるようです。解体直前の素敵な古民家の方にお会いしたのですが、あれこれ道を探ったけれど取り壊ししかないと、とても残念がっていました。

 今更ですが、仙台・宮城はずっと「被災地」です。毎日、体に感じる余震があり、ずっと震災と向き合う日々。行き交う人が全員被災者で、ここで、震災に関係ないことなんて何一つありません。
 先日、パレスチナ・オリーブの大家さんにばったり会いました。大家さんの事務所が津波で流されたのは知っていたのですが、「賃貸契約書自体も、契約書のひな形も何もかも流された(契約の中身も分からなくなっている)」と聞いて、それに思い至っていなかった自分に驚きました。震災後「言われればそうだけど全く思い至っていなかった」は数多くあるのですが、震災後1年近く経ってこんな身近なことがわかっておらず、衝撃でした。

 そんな中、先週末の19日に「おとのわ」が開かれました。
 東北から子ども達の安全な未来とあたらしい暮し方を自分たちの手で育み、発信していけるよう音楽をエネルギーに、歌い、踊り、つながり合う場。
 すごかったです!! とても暖かな空間でした。
 コミュニティカフェのブースにいたので、全然ライヴの会場に入れなかったにもかかわらず、楽しかった〜。(子ども向けのイベント、というわけでもないのに)本当に子連れで来た方が多かったです。小さい子どもが100人はいたと思うのに、騒がしい感じは全くありませんでした。本当にいろいろな方が集ってくれました。
 放射能情報を求めてきた方にも、いろいろな人/団体を紹介してつなぐことができました。「福島応援チケット」での入場もありました。
 ミュージシャンの皆さんも普通にブースに来て、ネパリ・バザーロのフェアトレードコーヒーや、七草農場の人参ジュースを代金を払って飲んで下さいました。
 参加者の皆さんもみな、楽しんでくださったようです。「おとのわ」の当日と数日間の感想ツイートの嵐。読んだら泣けてしまいました。みんな、こういう集まりを待っていたんですね。

 この「おとのわ」の中心スタッフであり、「せんだいコミュニティカフェ準備室」で一緒に活動している「book cafe 火星の庭」の前野さんのインタヴューが宮城県の復興応援ブログに載りました。仙台の様子をよく伝えていると思いますので、ぜひお読み下さい。

宮城県復興応援ブログ「ココロプレス」


追伸:
仙台・宮城での暮らしを提案していく : 避難移住/保養を紹介する
測定して不検出なら宮城の野菜(食材)を使う、売る : 土壌汚染の心配のない遠方の野菜を使う、売る

 などなど。
 いろいろな意見があると思いますが、私は、どちらかではなく、両方やっていくしかないのだろうと思っています。ただ、(野菜に放射性物質が移行しなくても土壌にはあるので)農家さんの被曝問題をどう考えたらいいのだろうと思います。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=38


2012/02/17(金) 00:06|読書記録

『エジプト革命』/『We』176号

  シリアで何が起きているのかニュースを見ているだけではよくわからず、市民が亡くなるような事態をただニュースを見ているしかないのか、やりきれないです。1月半ばに反原発世界会議で来日されたヨルダンの国会議員の方たちが、シリアからヨルダンへの難民が増えていると言っていました(「原発? No Thank you!」の集会報告はJSRメルマガの1月21日号に掲載されました。サイトから読めます)。
 2011年、世界的には一番のトピックは中東の変動だったでしょう。私も2011年始めには、十数年前にカイロのタハリール広場に行ったことを思い返したりしていました。エジプトの状況をよく知らなくても、「自由の声」をYoutubeで見たときには、涙ぐんでしまいました。エジプトでも世界中でも視聴された曲ですが、わかりやすい歌詞とメロディー、笑顔の人々の映像。でも、そのときには、ムバラク大統領から軍最高評議会に統治権が委譲されたとしても、何が変わるんだろうと思ったりもしていました。パレスチナの生産者団体の一人が「エジプトの運動を見て、自分がアラブ人だということを初めて誇りに思った」というようなことを言っていても、その興奮の意味がよく分かっていなかったのです。
 いま、長沢栄治さんの『エジプト革命』(平凡社新書、2012.1)を読んでいます。ムバラクが倒された、というのはどのような背景があって、どんな動きをもたらしたのか。とても勉強になっています。
 チュニジア、リビアはいまどうなっているのか。震災以来、仙台・宮城の生活と中東のできごとをうまく結びつけて感じることができませんでした。リビアへの欧米の介入、ひどいことが行われていそうだとは思っても、イラク攻撃のときのようには怒りを感じることができなかったと思います。『オルタ 特集:アラブ革命はこれからだ!』(PARC、2012年1・2月号)も読んだり、少しずつ、中東とのつながりを結び直しています。(パレスチナの人たちも当然アラブの動きを見ている訳ですから、アラブの動きを何も知らずにパレスチナの生産者と話もできないと思うのです。)

 そして。フェアトレードと震災支援。12月3日に行われたシンポジウム「被災地支援にいかされた<支えあいの知恵>〜フェアトレードからの発信〜」のまとめが『We 特集:支えあって軽やかに生きのびる』176号(フェミックス、2012年1・2月号)に掲載されました。ネパリ・バザーロさんや第3世界ショップさんが、フェアトレードの経験を生かして、どのように的確に被災地支援をされたのか。とても勉強になります。
 この特集の最初に載っているのは、武藤類子さん(ハイロアクション)のロングインタヴューです。震災後のことだけでなく、武藤さんの生い立ち、脱原発運動へのかかわり、山を開墾してお店をつくったこと、などまとめて知ることができます。
 「さようなら原発5万人集会」でのすばらしいスピーチもあって、いまや時の人となってしまった武藤さん。福島県三春町にある「里山喫茶 燐」でずっと、オリーブ商品を扱ってくださっていました。私がお店に伺ったのは5年くらい前でしょうか。森の中、とても気持ちのよいお店で、息子が眠ってしまったことを覚えています。「身の回りの野草で何が食べられるのか、いろいろ試している」「どんぐりは(渋みを抜くのに)もっといい調理法があるはずだ」などと話されていたのが印象的でした。どんぐりなど木の実はとりわけ多く放射性物質を取り込んでいます。もう三春のどんぐりは食べられません(宮城のどんぐりも無理でしょう)。
 2011年3月26日〜2012年3月26日までの1年間を「ハイロ(廃炉)アクション年」にしようという呼びかけで2010年11月に結成されたのがハイロアクション福島原発40年実行委員会です。私はこれに賛同し、2011年3月26・27日にいわきで行われる予定だったオープニング集会のチケットを持っていました。本当に悔しい。
 『We』176号、オススメです。ぜひお読み下さい。パレスチナ・オリーブでも少し取り寄せましたので、ご注文頂けます。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=37



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