2012/01/08(日) 23:09|震災

2012年

  皆さまに支えられた2011年が終わるのあたって、きちんとお礼と状況を書きたいと思っていたのですが、あっと言う間に年が明けてしまいました。昨年は本当にどうもありがとうございました。
 今年も余震で始まりました。1月1日から震度4の地震。私は実家(新潟)にいたので免れましたが、ちょっとがっかりです。今日(1月8日)は、既に4回ほどの体に感じる地震がありました、、、。年が明けても状況が急に良くなる訳ではありませんが、どうしても(!)良い年にしたいです。

 パレスチナ・オリーブの事務所が入っているビルの敷地は、震災で地盤沈下、配水管の修理が必要だったのですが、業者さんが忙しく12月下旬にやっと工事がありました。クリスマスの三連休も工事をされていて、「大変ですね」と声をかけましたら「休み欲しいです〜」と言っていました。
 工事の順番待ち、、、まだまだ続いています。家の2階が壊れた、という知人、修理がいつになるかわからないとのこと。アパートの大家さんも大変です。修理をするのは大家さんですが、半壊認定された方への義援金など、大家さんではなく入居されている方に出るのです。(物件が不足しているので)ほとんどの方は半壊でも住み続けていますが、大家さんは自腹で修復しなければなりません。全壊などで住めなくなったアパートも早く直して入居者を入れたいのに、業者さんがいつ来れるのかわからないのです。また、住宅の全壊・半壊にはお金が出るのですが、店舗が壊れた場合には何も出ません。

 話変わって。
 きちんと報告できてなくて本当に申し訳ないのですが。沖縄・伊江島からのお野菜をいろいろな集まりに送って頂くこと、続いています。そのほかにもお声掛けを頂き、熊本の野菜を買って送って頂いたり、長野や滋賀のお野菜をカンパで送って頂いたりもしています(コミカフェやこども園、ちいたびなどで利用させて頂いています)。

 さらに話変わって。
 神戸のフェアトレードショップで"one village one earth 東北だより"開催中です(2012年1月6日〜2月1日)。
 仙台でお世話になっている「コッペ」さん、「まどか荒浜」さんの商品が買えます。まどか荒浜さんは津波で被災しましたが、仮作業所に移って活動されています。お近くの皆さん、ぜひお出かけください。

  そして!!
 2月19日(日)に仙台で「おとのわ」をやります。
 原発事故後の仙台で、どう暮らしていくのか(もちろん避難もありです)。音楽を聴きながら、おいしいものを食べながら、素敵なグッズを眺めながら。一緒に考える機会になると思います。宮城だけでなく全国からのご参加をお待ちしています。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=34


2011/11/30(水) 00:04|イベント

12月3日横浜で

お知らせです。私自身、パネリストの皆さんなどと話すことはとても勉強になると思うので楽しみにしています。

 ■被災地支援にいかされた《支えあいの知恵》〜フェアトレードからの発信〜

フェアトレードは、南の国の人たちに仕事の機会を提供し正当な対価を払うことで北の国の消費のありようも変えていく取り組みです。

人やコミュニティを元気にするその<支えあいの知恵>は、海外での自立支援にとどまらず、国内においても過疎や伝統の消失などのコミュニティの課題を解決し、<持続可能な>生産や労働を実現するための<コミュニティトレード>として生かされてきました。

人と人とのつながりやコミュニティの再興、スローな生き方など、震災以降の生き方のヒントの宝庫であるフェアトレード。

 現地での緊急支援に引き続き、コミュニティ再興のための支援や仕事づくりを始めた3人のパネリストのお話を伺い、わたしたちのつくりたい未来や暮らしについて、いま、できることを一緒に考えたいと思います。
 
日時:2011年12月3日(土)13:30〜16:30(13:00開場)
会場:アートフォーラムあざみ野 レクチャールーム(1F) アクセス 

パネリスト:
 土屋春代さん (ネパリ・バザーロ)
 樋口わかこさん (第3世界ショップ)
 皆川万葉さん (パレスチナ・オリーブ)
コーディネーター:
 長谷川輝美さん (ウィメンズショップ・パッチワーク)

※パネリスト・コーディネーターの紹介は、こちらをごらんください

参加費:1,000 円(学生、失業など経済的な事情がある方は500円)
定員:100人

申し込み/問い合わせ:スペースナナ
e-mail: event(@)spacenana.com 
tel: 045-482-6717 
fax: 045-482-6712

保育:1歳6ヵ月から未就学児(予約制・有料)
 保育予約は11月29日(火)17:00までに直接「子どもの部屋」へtel:045-910-5724

主催:スペースナナ
☆スペースナナのフェアトレードショップで扱っている、オリーブオイルは「パレスチナオリーブ」のもの、洋服や雑貨、食品の多くは「ネパリ・バザーロ」と「第3世界ショップ」の商品です。

*このシンポジウムは、男女共同参画センター横浜北2011年度「市民・NPOがつくる男女共同参画事業」市民企画講座・ワークショップの事業として行います。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=33


2011/11/24(木) 22:52|震災

原発震災の8ヶ月(仙台)

  今朝、4時半に震度3の地震で目が覚めましたが、その後、なかなか眠れずに苦労しました(宮城県は場所によって震度4でした)。「余震」が8ヶ月間、毎日、、、どうなっているんでしょう!

 原発事故も。避難するかしないか、放射線量の高い 雨樋の下や側溝の土をどうするか、何を食べるか食べないか。8ヶ月経っても状況は変わらず、情報収集にも日々の選択、決断にもみな、疲れています。子どものいる人たちは気にし続けているけれども、みなで話題にすることは減ってきたとも聞きます。仙台あたりでは、子どものいない人は全然気にしていないようです。
 7月27日のブログに書いたように、関西でカンパを集め沖縄のお野菜を仙台に送る企画を考え、さらに、4ヶ月間息子を京都で預かってくれた友人が来仙するので、コミカフェ準備室で第2回の車座カフェトークを企画しました。「母子週末保養プロジェクトちいさなたび Japan」のゆんたさんもゲストです。
 このプロジェクトは、放射能汚染地区におり、様々な事情のために避難移住できない母子のために、週末などに比較的汚染程度の低いエリアの宮城県内で合宿しながら、母子双方の心身の保養を目的とするというものです。遠くに避難移住できなくても週末に仙台近辺になら出たい、そういう方も多いのです。

 宮城県の食品の汚染状況について。不十分な宮城県の測定でさえ、魚類でまんべんなく検出され、一部の野菜で高い値のセシウムが検出されています。キノコ類が高いのはよく知られている通りです。最近気になっているのは、一部で180ベクレル、240ベクレルと言った結果が出ている大豆。乾燥してから測るので高くなるのでしょうか(そうなのかどうかよくわかりません)。柚子も一部で60ベクレルの値が出ています。
 原乳は、震災以来ずっと、5ベクレル程度の値が出ています。そして、宮城県は乳製品の値を件際していませんが、新潟県が新潟で流通している商品を計測しているため、宮城県の乳製品(商品)も測っていますが、宮城県産の牛乳で20ベクレル程度の値が出ています。
 このため、仙台市内でも、給食の牛乳を飲まなかったり、お弁当を持っていったりしている子どもたちがいます。しかし、仙台では(全国的にでしょうか)、放射能汚染を理由に給食を食べないことが認められていないので、お弁当を持参している人たちも給食費を払っています。そして、牛乳も子どもたちの人数分届きます。つまり、牛乳を飲まない子の分が余り、結果、他の子が喜んで2本飲んでしまうのです! 自分の子を被曝させたくなくて牛乳を飲ませないと、2倍牛乳を飲む子どもが出てしまう。小学校でも中学校でも、複数のお母さんから「堪え難い」という声を聞きました。

 食べる人も作る人も確かめたい。宮城県では二つの市民測定室が始まります。
 11月23日、宮城県南部に、みんなの放射線測定室「てとてと」がオープンしました。 

 「小さき花 市民の放射線測定室(仙台)」もまもなく、11月27日にオープンです。


 「暮らしのシェア」も第5回目まで終わりました。
 皆さん、多かれ少なかれ、放射能汚染問題に触れています。5回目のゲストは、佐藤商店の佐藤博子さん。小さなお子さんのいるお母さんであり、震災直後「頭の中は100%原発事故だった」という一方、地域のお店として休まず販売を続けました。このブログでも紹介してきている「まめまめ手仕事プロジェクト」もされています。ぜひ、お聞き下さい。


追伸1:
 京都に疎開していた息子は甲府へ移住し父親と暮らしています。私は月に数回、息子に会いに甲府に通う生活となりました。

追伸2:
 宮城県議会選挙や女川町議会選挙では、女川原発のある女川・石巻で脱原発派の得票が伸びました。3月11日の地震ではタンクがごろりと横になり700ヶ所以上も壊れ、4月7日の余震では1時間半、冷却機能が喪失していた女川原発。来春再稼働の予定がまことしとやかにささやかれています。怖すぎます、、、。
→女川原発について参照:みやぎ脱原発 風の会


この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=32


2011/11/14(月) 20:05|イベント

11/19に東京で話します

 震災から8ヶ月。昨日は延期されていた県議会選挙でした。
 、、、というのは別投稿します。 

 今週末、東京で話をします。震災以来、東京駅は何度も通り過ぎましたが、東京で降りるのは初めてです。今回の講座で話をする件は、震災の前に決まっていました。震災後、皆さんの関心が変わり国際関係の講座にはなかなか受講者が集まらなかったとか。19日は、一般参加OKですが、事前の予約をお願いします。


11/19(土) PARC自由学校・アラブ大変動クラスミニイベント
【フェアトレードという連帯の形─互いのエンパワーメント】

 隔離壁の建設、2009年のガザ侵攻・虐殺――ユネスコでパレスチナの正式加盟が可決し、マスコミがにぎわっていますが、パレスチナのおかれている状況は、この十年、悪化の一途をたどっているように思います。
 パレスチナで日々闘い、生きつづけている人びとのために、また彼/女らと連帯し、現在の不正なシステムを変えてゆくために、私たちに何ができるのか? 
 フェアトレードは、そのささやかな可能性の一つです。
  • 日時  : 2011年11月19日(土) 13時〜16時
  • 会場  : PARC自由学校2F教室
  • 参加費 : 1,500円
  • 参加資格: どなたでもご参加できます。
  • 内容  : 早尾貴紀さん・皆川万葉さんによるトーク+質疑とディスカッションを兼ねたお茶会
  • 講師:
  • ■早尾貴紀さん(東京経済大学教員/ パレスチナ情報センター)パレスチナへの開発援助がイスラエルによる占領体制に組み込まれている!? 政治経済からモラルまでが崩壊していった10 年間を振り返りつつ、あるべき市民のつながりを考えたい。
  • ■皆川万葉さん(パレスチナ・オリーブ)パレスチナからフェアトレードでオリーブ商品を輸入・販売。現地生産者や日本のお店・個人とつながって一人一人が大切にされる社会を一緒につくっていこうという経験からお話しします。
 震災後、人と人が有機的につながる「場」の必要性を感じて「せんだいコミュニティカフェ準備室」を有志とともにたちあげた皆川さん。当日は、パレスチナの生産者によって丁寧につくられた美味しく純良なオリーヴ・オイルをパンにつけて味わいながら、パレスチナの現状を学び、私たちにできることを考え、話し合いましょう。熱い紅茶もご用意してお待ちしております!

担当:大和田清香
〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町1-7-11 東洋ビル3F
TEL.03-5209-3455 FAX.03-5209-3453
E-mail:parcfs@parc-jp.org
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2011/10/20(木) 18:55|震災

地元のミニプロジェクト

  被災者も支援者も、体力の疲れのピークは過ぎましたが(みながばたばた倒れる時期がありました)、精神的な疲れのピークはこれからでしょうか。(震災直後には「心のケア」チームの人たちをケアするチーム、がいたりしましたが、いまも必要だと思います、、、) 震災直後はただ必死だったのがぽっかりと喪失感が出てきて、、いまから震災1年後くらいが一番精神的にきつい気もします。当初は、みんなで助け合っていたのが、いま、様々な格差(被害の状況だったり仮設住宅の状況だったり)で感情的な軋轢が大きくなっていると聞いても、みんな弱っているんだから当然だよな〜と思ったりします。
 仮設住宅では、支援団体や住民の皆さんで、ひさしや棚を作ったり、寒さ対策で窓にプチプチを貼ったり、、、と大忙しで人手不足です。1戸500万円もするのに、狭くて寒くて結露もひどい劣悪な環境(場所によって-委託業者によって仮設住宅の品質は異なります)。宮城県は、岩手県や福島県の仮設住宅と比べてもひどい、と言われています。本来はある程度の生活環境を用意するのは支援団体ではなく行政の仕事ではないかと思いますが、待っていると本格的な冬に入ってしまいます。
***
追記(10月24日):
 今日のニュースによると、行政による仮設住宅の寒さ対策が始まりましたが、終わるのには2ヶ月かかるそうです。仙台でさえ、最低気温が10℃を切る日が多くなり、気仙沼など北部では5℃くらいの日が増えてきているのですが。一方、宮城の仮設住宅で亡くなった方は(自殺された方を含め)既に12人以上になっているそうです。そして、この2つが宮城県の今日のトップのTVニュースでしたが、全国放送では何も流れないのです。被災地で流れているローカル報道と全国放送の乖離。震災直後からありましたが、最近ますますギャップを感じます。
***

 直接に沿岸地域支援までやる余裕はないから仙台の街中でできることに集中しようと沿岸地域にはあまり行っていなかったのですが、先月下旬、(震災前のつながりも震災後のつながりもあり)石巻・十三浜と気仙沼・本吉に行ってきました。泥に埋まっていたところがいま草原となり、壊れた家や船はまだ散見されますが、むしろ、美しい風景が広がっていました。海も当初は濁っていたようですが、もう青く美しく見えました。ヘドロのにおいも減ったと思います。
 パレスチナみたいだな、と思いました。風景はあくまで美しい。イスラエル軍に破壊されたパレスチナの村々の跡地。よく見れば痕跡がありますが、言われなければ野の花が咲く美し場所だったりします。
 仮設住宅でのお茶会に参加したのですが、いいお天気で年配の女性たちの笑顔が嬉しかったです。まだ「当日どうだった」という話が出てきます。

 そんなこともあって、私自身がゲストの皆さんの話を伺いたくてせんだいコミュニティカフェ準備室で以下の企画を立てました。
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車座カフェトーク
「支援の現場からーそれぞれのつながり方ー」
 震災から7ヶ月半。いま、沿岸被災地の人々はどうしているのか、何が必要なのか。仙台に住む私たちには何ができるのか、どうやってつながっていけるのか。みんなが元気になってお金も入る方法は??
 それぞれのやり方で被災女性の仕事づくりを支援しているゲストと一緒に車座でおしゃべりしましょう! 当日、それぞれのゲストが関わるプロジェクトの素敵な手仕事品なども買えます。

 私は、パレスチナで、老いも若いも女性たちが集まって、伝統的な刺繍をしながらおしゃべりしている姿を見てきました。以前は日本でも世界中でもあったこと。いま、顔を合わせて手仕事をする、その大事さを改めて感じます。
 一方で、売り物になるものを作る、というのはワンステップ別のこと。買う人は何を求めているの? どんなふうに売ったらいいの? 作っている人も支援団体も試行錯誤です。パレスチナでは女性の刺繍団体ばかり多数できてしまうということも起こりました。それぞれの共通点や相違点を聞きながら、参加者の皆さんとお話しする中で、たくさんのヒント、アイデアが生まれてくるかもしれません! ご参加お待ちしています。

日時:10月29日(土)10:00〜12:00
(仙台市青葉区本町1-14-30 ラポール錦町1F tel 022-716-5335)
参加費:500円(飲み物付き)
定員:15名
申込・問合先:皆川または火星の庭

【コーディネーター】
皆川万葉(パレスチナ・オリーブ、せんだいコミュニティカフェ準備室)

【ゲスト】
小関あけ美さん(茶ろん もも
 石巻のカフェ「茶ろん もも」の店舗は震災のため休止していますが「うつろひカフェ」としてイベント出店など活動中。震災後、石巻の作家さんたちで作る「福幸の芽」をプロデュース。にこまるクッキープロジェクトの石巻チーフもされています。

 仙台の佐藤商店の佐藤さんとお友達が震災後にプロジェクトを始めました。石巻、東松島などで手仕事が好きな被災者の方に裁縫道具、刺し子の材料を手渡して作っていただいています。

遠藤優子さん(ルーテル教会救援
 支援団体のスタッフとして3ヶ月の予定で宮城に来た遠藤さんでしたが、3ヶ月の予定は3年に変更されました。漁業の復興や仮設住宅の生活支援など幅広く活動している中で、石巻でのミサンガ作り、キャンドル作り、気仙沼・本吉のカード作り支援なども行っています。
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 8月10日のブログで紹介した「暮らしのシェア」も3回まで収録が終わりました。
 どれも、聞き応えがありますので、ぜひ!


(顔出しなしなので一部のみ映像が流れます)

(音声が出るのに数分かかります)

 話変わって。地震の10ヶ月前まで8年間住んでいた賃貸の一軒家が、先日取り壊されました。更地になってしまって寂しいです。子どもが生まれる前から小学校に上がるまで暮らしていた家。長い間、1階をパレスチナ・オリーブの事務所として、2階を自宅として使用していました。数年前にパレスチナ・オリーブの事務所を移転、自宅としてもそこから引越して10ヶ月後の震災。私たちが出た後に他の方が住んでいましたが、震災後はひとけがなくなっていました。築50年の古い一軒家なので、気になって近くを通るとチラリと見ていましたが(もはや他人の家ですからじろじろと見てはいません!)、外から見ると家の壊れ具合はよくわからないけれど、水道管が壊れて水が漏れているようだなあとは思っていました。
 外から見るとよくわからないけれど、中はボロボロだったり傾いていたり、、、というのは、今回の地震の特徴のようです(揺れの具合なのか、建物の耐震のつくりの問題なのかわかりりません)。仙台駅も、外壁がはがれていた他は外からはわかららなかったけれど、中は天井が落ちたり壁にひびが入っていたり、線路が曲がって垂れ下がったり、ひどかったそうです。仙台市内の公共施設のホールも全て天井が落ちたそうで(広くて柱がないからのようです)半年近く閉まっていましたが、外からはよくわかりませんでした。
 そういうわけで、前回のブログにも書いたように、いま、仙台市内では住宅や商業ビルの取り壊し、補修がやっと始まった一方、まだいつ修繕が始まるかわからず、ビルのテナントとして入っているお店が困っていたりもします。まだ、余震も毎日続いていますし!

 宮城に支援にいらした多くの人たちとお会いする日々が続いています。
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=30


2011/09/15(木) 17:55|震災

前はどっち?

 6ヶ月分の疲れなのか夏の疲れなのか(息子のいる京都と私のいる仙台の気温差は10℃)、睡眠時間が増えてしまい雑務がたまって、ブログもなかなか更新できないでいます。

 地震当日の夜、パレスチナ・オリーブのスタッフを車で家に送り届けて自宅に帰るとき。大きな余震が続き、道路もひび割れている。停電で真っ暗、どこを走っているのか、よくわからない。両方向4車線ずつあるような交差点で大渋滞の中、信号もないので、あうんの呼吸で右折する。雪も降っている。その緊張感と怖さ、、、。地震後、その当日夜の夢を何度か見ました。最近は、津波から逃げる夢を見たりします。何度も目にしてしまうテレビの映像のためなのか、津波から生き延びた(生き延びてくれた、という感謝でいっぱい)友人・知人から具体的に話を聞いたからなのか、直接、沿岸被災地域を目にしてしまったからなのか、わかりません。私でさえこの有様なのですから、直接経験した皆さんには、まだまだ生々しいことと思います。
 6ヶ月間、目の前のことだけをこなして、一日一日を過ごし、先のことを考えられずにいました。いま、「一歩一歩前へ」などというスローガンを聞いても、「前ってどっち?」と途方に暮れます。
 沿岸の津波被災地域では、6ヶ月の建築制限が延長され、高台移転するかなどまだ復興計画が立っていません。福島原発は事故収束の見通しすら立っていません。その場でどう生活を作っていくのか、移住して新しい生活を作っていくのか。
 仙台の自営業仲間でも「今まで通りの仕事をしていていいのか、疑問に思う」という声が出ています。経営的な話ではなく、目指すもの・やり方が今まで通りでいいのか、ということです。お客さんのニーズとしても、私たち自身がやりたいこととしても。私たちは、震災で傷ついているし、弱っている(震災の何にどう傷ついて弱っているのか、うまく説明できないです)。そこを前提とするしかないと思うのですが、いつ元気になれるのか、前がどっちかわかれば元気になれるのか、まだ迷いの中にいます。

 と、抽象的なことを言っても、日々は進んでいきます。
 凍結されていた(よう見えた)お役所の日常業務が動き出したようです。3月11日に、あと2時間地震が遅ければ終わっていたのに!という、パレスチナ・オリーブの確定申告や消費税の支払いは、3ヶ月遅れで6月に行いました。いま、数ヶ月遅れで労働保険の計算と支払いをしなくてはなりません。自動車税、健康保険、年金なども数ヶ月遅れで一気に来ました(保険、年金は「請求が来ないからまだ払わなくていいのかな、、、」と気になっていましたが、自動車税なんて存在を忘れていました)。
 地震直後は「私のところなんて被害のうちに入らないからからいいや、、、」と思っていた諸手続きにも一応行こうと思っていますが、まだ区役所など混んでいるようです。高速道路用の罹災証明と家屋の一部損の罹災証明。両方とも簡単な書類で取れるそうです。仙台の建物でひび一つ入っていないところなんてないのだから、申請ではなく、全員に配ってしまえば、、、と思ってしまいます。
 地震で壊れた家電もまだ片付けていませんでしたが、そろそろ捨てる気になりました。震災ゴミの仮置き場は4月末で閉まってしまい、粗大ゴミの収集場に持ち込む手数料が安くなっていたのも元に戻るそうです。
 仙台市内での壊れた住宅やビルの取り壊しも9月に入って急に増えた気がします。突然、ぽっかりとした空間に出会って驚きます。自治体によって、取り壊しの自治体負担が(最終的には国の負担か)10月で終わりになって持ち主の自己負担になるためなのか、たんに建設重機がやっと仙台にも回ってきたのか、理由はわかりません。屋根のブルーシートの状況は6ヶ月間、何も変わっていません。「瓦は3ヶ月待ち」なんてことを最初の頃に聞きましたが、いまは「3年待ち」という噂も耳にしました。

 4月に予定されていた統一地方選挙もぼちばち始まっています。仙台市議会選挙は8月末にありましたが、さっぱり盛り上がりませんでした。今後を考えていく上では、どこの選挙も大事なのでしょうが、選挙の気持ちにならず(私は投票には行っています! 投票率は軒並み下がっていますが)。宮城県議会選挙もそろそろのはずだけれど、いつだっけ?という感じです。

 と書いているうちに、また余震。もちろん最初の一ヶ月に比べればたいしたことがないのですが、一日数回は体に感じる地震があります。本当に6ヶ月毎日。震度1くらいだと昼間は感じないのですが、夜は感じやすく目が覚めてしまうこともあります。見ても仕方ないのですが、気象庁の地震情報のページを見ると、毎日、数時間起きに地震があることに驚きます。

 3月13日に仙台でパレスチナ訪問報告会を予定していたのですが、もちろんそれは中止になりました。そして、その時の訪問については、結局、あまりどこでも話していません。パレスチナ・オリーブの通信『ぜいとぅーん』44号での訪問報告をやっとサイトにアップしましたので、よろしければご覧ください。

 中・長期的な取り組みのあれこれ。次こそ書きます。
 明日は、「せんだいコミュニティカフェ準備室」でロックカフェをやります!
この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=29


2011/08/10(水) 17:35|震災

宮城の農家さんたち

  前回書いた、わすれン!TVの企画でせんだいコミュニティカフェ準備室が協力している「暮らしのシェア」。
 7月31日に、名取市(仙台の南隣)の農家の三浦さんが、震災前からの活動、震災後の対応(名取の沿岸部もひどい津波被害を受けました)、現在の放射能汚染に対しての考え・対応など、率直に語ってくださいました。せりやミョウガタケなどおいしい伝統野菜を作っている方です。「せりしゃぶ」を知りたい方は、番組を聞いてください。90分ありますが、濃い内容で多くの皆さんに聞いて頂きたいです。放射能問題については後半30分で話しています。三浦さんは、自分でお金を払って、お野菜や土、水を計測してもらっています。

(音声が出るのは3分後からです)

 宮城県の測定が相変わらず不十分な中、農家さんたちの独自の取り組みが始まっています。
 宮城県南の有機農家さんが中心となってつくった「放射能から命を守る宮城県南部の会」が、行政から独立した食品の測定所「みんなの放射能測定室」を開こうという活動を始めています。仙台の農家さんによる「小さき花 市民の放射能測定室(仙台)」もつくられる予定です。いずれも約300万円の装置を買うため、農家さんたちが資金を出し合い、不足分のカンパを募っています。
 そして、三浦さんも、測定室をつくる皆さんも、いま、消費者の私たちと一緒に話し合うことを求めてくださっています。三浦さんは「被曝させたいと思って農産物を作っている農家は一人もいない」「生産者が『買って下さい』で、消費者が『怖くて食べられない』では対話ができない。さあ、困りましたね、とテーブルを囲めるような場を作ることが大事。」と言います。詳しくは、本当に聞いてみてください。また、9月の「ぶんぶんカフェ」では、県南の有機農家さんからお話を伺う予定です。上記のうち幾人かの農家さんは、既に、今年の農業は止めている方もいらっしゃいますが少数派だそうです。

 ところで、小麦の収穫の季節になり放射能汚染の測定結果が出始めています。パレスチナ・オリーブで取り扱っている、オリーブオートミールクッキーとザータルクッキーの原材料の国産小麦については、2011年12月製造分までは昨シーズン(2010年収穫)の小麦を使用します。その後については、決まり次第、お知らせいたします。
 国産小麦でおいしいパンをつくっている仙台のパン屋さんが、今年の小麦に切り替わる頃にパン屋を閉めるという話を聞きました。悔しい限りです。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=28


2011/07/27(水) 14:35|震災

せんだいコミュニティカフェ準備室

  4ヶ月間以上本当に揺れっぱなしですが、ここしばらく、また余震の回数が増えている気がします。
 なかなか報告できていませんが、4月13日のブログに書いたように「コミュニティカフェをつくろう」と仲間たちとミーティングを重ね、まずカフェイベントを応援したりしてきました。これは、パレスチナ・オリーブの活動とは別に皆川が個人的にかかわっています。
 震災直後から、既存の小さなカフェが「避難所として、情報と物資の交換の場として、話をする/聞く場所として」大事な役割を果たしてきました。現在、人々が直接顔を合わせ、語り合い癒される場がますます重要となっています。
 文化・暮らしの復興の拠点として、人々が学び合い発信できる「場」をつくりつないでいきたい。実店舗のコミュニティカフェをつくろうと、いま、資金を募っています。よろしくお願いいたします。
 口座記号番号:02240-4-133768  加入者名:カフェ・パーチェ

 口座名は「カフェ・パーチェ」ですが、現在、「せんだいコミュニティカフェ準備室」の名前で活動しています。(ブログは作ったばかりでまだ中身がないです。これから掲載していきます)

 カフェの場所については、街中で安く借りたい、ということを別にしても(←重要ですが)難航中。飲食店の廃業による空きも出てきているのですが、震災の影響で物件の判断が難しくなっています。どの建物も大なり小なりの被害を受けていますが、壊すところ、補修に入るところ、無理に使うところ(?)などがあります。例えば「広さは少し足りないけれど場所はいい、価格も手頃。でも、ビルが傾いている、、、」というとき判断に迷います。

 最近の動きをちょっと紹介します。

(1)沖縄ナイト
 7月14日、たまには放射能フリーご飯ということで、第1回目の沖縄ナイトをやりました。京都の友人が関西でカンパを集めてくれて、それで沖縄・伊江島のお野菜を買う、というしくみになっています。
 特に小さな子どものいる家庭で、(放射能汚染地域からの食材ばかりで)買える食材がない、何を食べたら良いのだろう、、、とストレスをためている人たちがいます。また、「仙台は沿岸地域に比べたら何でもないから」と頑張り続け、沿岸支援にも行って、疲れをためている人もいます。
 そこで、「一食でも安心して、楽しんで食べてほしい」そんな気持ちで、関西の友人が企画し、野菜代金のためにカンパを集めてくれました。
 1回目なので、まず、コミカフェ準備室を中心としたメンバーで、沖縄音楽を聴きながら、もずく、アーサ汁、ゴーヤチャンプルー、ソーメンチャンプルー、島らっきょう、ミミガー、ラフテー、サーターアンダーギーなど、書ききれない沖縄料理を存分に楽しみました。私にとって、自分が楽しむ企画は震災後初めてでした。オリピンビールなども飲みながら、交流を深めるいい機会になりました。
 お野菜は「わびあいの里」のスタッフの方から届きました。阿波根昌鴻さんの思いからつくられたところです。阿波根昌鴻さんについては、ぜひ岩波新書の名著、『米軍と農民』をお読み下さい。豊かな土地を米軍に取られ、立ち上がった人々の記録です。パレスチナの人々とも重なります(ところで奇遇にも、若き阿波根さんが学んだ京都の一燈園で、いま、再避難中の私の息子が学んでいます)。
 2回目以降は、親子で参加できるような企画も立てて行きます。

(2)ぶんぶんカフェ
cake
  7月17日の第4回ぶんぶんカフェ。「せんだいコミュニティカフェ準備室」からの差し入れという形で、石巻で被災されたカフェ「茶ろん もも」さんに作って頂いた「空豆とクリームチーズのパウンドケーキ」(写真)を持って行きました。もう、おいしくって、、、。場の雰囲気もほんわかしました(「茶ろん もも」さんの「福幸の芽」ついてなどは、また別投稿します!)。
 ぶんぶんカフェは、震災前の2月、第2回東日本6ラプサミットで誕生した集まりです。震災後は、放射能が不安だけれど話ができる人が周りにいなくって、、、という人たちが、何でも話ができる貴重な場になりました。
 ぶんぶんカフェに限らず、震災後のカフェイベントで、パレスチナ・オリーブへの支援で頂いた紅茶、コーヒーなども使わせて頂いています。

(3)暮らしのシェア
 来週から、およそ月に1回。わすれンTVの一つ「暮らしのシェア」に、仙台コミュニティカフェ準備室が協力していきます。震災以来、生産者や個人店主がどのように対応してきたかを伺いながら、これからの生活のあり方を考える連続トークです。
 「3がつ11にちをわすれないためにセンター」は、震災で、一人一人の市民が何を体験し、どう行動してきたかを記録していま。普通の暮らしの中に襲ってきた震災。それが見えるいい記録だとおもいます。県外の方にもぜひ、見て頂きたいです。


以下、通信『ぜいとぅーん』45号(6月3日発行)から、一部抜粋・修正したものです。

* * * * *
編集後記:御礼

 パレスチナ・オリーブへ物資やお見舞い、応援メッセージをくださった皆さま、どうもありがとうございました。そして、皆様とのつながりや皆様からのご注文が励みになることを改めて実感しました。宅配便が再開して多くのものが届き、正直、どうしよう?と思ったこともあったのですが、どれも有効に使わせて頂くことができました。本当にどうもありがとうございました。

物資
 →パレスチナ・オリーブの周辺で(スタッフ、友人・知人)
 →カフェを通じて必要な方へ(沿岸地域から仙台への移住者など)
 →イベントやミーティングの場のお茶菓子に
 →知人を通じて沿岸地域へ(石巻市、気仙沼市)

資金
 →友人・知人たちがサポートしている沿岸地域支援活動経費として(石巻市、大槌町)
 →コミュニティ・カフェ準備金として

 道路が少しずつ復旧しガソリンも手に入るようになり、仙台近郊から個人的に沿岸地域の友人・知人を訪れサポートしている人から話を聞くようになりました。被災地では、日々必要なことが変わるので、必要な物を必要なときに必要な場所に届けることの難しさがよくわかります。 そして、結局、大きな団体より個人のつながりの方が小回りが利くので、宮城県では被災者が被災者をサポートしているような状況です。「明日、行ける」と思ったときに連絡してそのとき必要なものを買って持っていく、そんなことが一番いいようでした。
 皆様から頂いた物資やカンパの一部を、(自らも被災者である一方で自腹を切って活動している)宮城の友人・知人による沿岸サポートに回させて頂きました。パレスチナ・オリーブ自体では直接の沿岸支援は行っておりませんので、現在、沿岸支援のための物資・カンパは募集しておりません。

* * * * *

今日のこぼれ話:知人から、震災後にマンションの立体駐車場からしばらく車を出せなかった、という話を聞きました。まだ車を取り出せていない立体駐車場もあるのだとか。確かに、停電の間は動きませんし、故障しても直すのが大変そうです。でも、話を聞くまで思いつきませんでした。そういうことが数多くあるんでしょうね。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=27


2011/07/12(火) 13:35|震災

復興需要?

  地震から4ヶ月。私にはあっという間でした。

 前回ブログを書いてから、1ヶ月以上経ってしまいました。
 6月初めにパレスチナ・オリーブの通信『ぜいとぅーん』を発行、半ばに新シーズンのオリーブ商品が入荷してご予約順に荷造り・発送で大忙し。そんな日常と、地震・津波・原発事故というトリプル災害の非日常が同居している日々です。余震もまだ続いています。10日の地震は、三陸沖が震源で長く揺れて、小さくても津波があって、、、本震を思い起こさせる嫌な揺れでした。
 しかし、仙台の街は一見は何ともなく、むしろ県外からの出張サラリーマンの皆さんでにぎわっているという奇妙な感じです。

 3月、4月は夜7時以降は街に誰もいない状態で、飲屋街もひとけがなく、つぶれるお店も出始め(余震もひどくて、交通機関も復旧途中でみなさっさと帰ったし、なにしろ4月半ばまで飲食店のガスも出なかった)、地元新聞にも「”震閑”仙台・国分町正念場 スナック・高級店直撃」という記事が出ていました。その中で「復興で建設関係の仕事が入ってくるまでの辛抱」というお店の方のコメントがありましたが(記憶なので不正確です)、そんなにうまくいくかな、、、と心配していました。
 ところが。いま、仙台駅前も国分町も、出張サラリーマンであふれています。スーツ姿か作業着姿で、牛タン屋さんを覗き込んでいたりしているので、いかにも県外者。キャバクラなども大繁盛だと聞きました。新聞によれば、建設や保険関係が多いそうです。そして、この様子を見て「仙台はたいしたことがなかったのですね」と言われてしまう。仙台駅は天井が落ちたし(仙台駅の補修はまだ続いています)、仙台〜東京の新幹線がつながったのは4月末なんですけど、、、。
 前にも書いたように、全国のガス局の皆さんが鳴子温泉に泊まって仙台に通い、ガス管を直してくださいました。いまも、全国の行政機関の方が応援に来ています。もちろん、長期で沿岸地域に入っているNGOも多くありますし、短期で支援に訪問してくださる方も多く、仙台でお会いしたりしています。この辺は後日、別投稿します。

 でも、仙台市内はかなり「戻ってきた」ことになるのでしょう。仙台市内の二つの大きなアウトレットモールが6月中に再オープン(津波で1Fが全て水に浸かった仙台港のアウトレットモールも)。仙台駅前のジュンク堂もやっと、先週末に移転・再オープン。仙台港の倉庫をやられ、翌日配達ではなくなっていた(二日かかっていた)アスクルも、そろそろ一日で配達できるようになるようです。仙台空港もやっと電気が来て、7月下旬に空港全体が再オープン予定のようです(仙台駅〜仙台空港駅のアクセス鉄道は復旧の見通しがないようですが)。
 震災から4ヶ月。ヨドバシカメラは、ずーっと混んでいます。仙台のほぼ全ての家で、何かしら家電と食器は壊れたようですから。
 仙台に住んで20年近く、エアコンなし生活を続けてきましたが、昨年初めて、まずパレスチナ・オリーブで、商品の品質管理の面からもエアコンを使い始めました。この夏は、とうとう、自宅でも必要だと感じ、大混雑のヨドバシへ行きました(話がそれますが、やませはどこに行ってしまったのでしょう? 仙台に来て初めて、宮沢賢治の「寒さの夏はおろおろ歩き」を実感したものでしたが)。そして、忙しい店員さんをつかまえて質問。「地震でエアコンは落ちて壊れないのですか??」「地震で壊れたという話は聞きませんね〜。津波で流されたという方は買いに来られていますが。」 この返事を聞いて、(通常上部に取り付けられる)エアコンが流されるのなら全て流されているのでは??とよくわかりませんでした。さらに、取り付け工事に来てくださった方にも質問。「地震でエアコンは落ちて壊れないのですか??」「管でつながっているので、エアコン本体は傾くことはあっても落ちないんですよ。皆さん勘違いしていますが、壊れるのはエアコンの室外機なんですよ」 なるほど!それは、地震でも倒れるし、津波でも流されてしまいそうです。

 一方、地震で家の中があちこち壊れているので、地元の建設関係や電気工事の業者さんも大忙し。でも、「気の毒で、まともに修理代をもらえない。(職人さんたちを派遣するので)人件費の方がかかってしまうぐらい、、、」と、おしゃっていました。そして、仙台でも被災地全体でも震災以来変わらない風景は、屋根の上のブルーシートと重し。瓦を焼くのが全く間に合わず、数ヶ月待ちなのだそうです。

 住宅需要の増加、すなわち住宅不足の方は大変です。沿岸地域の被災者が仙台への移住したり、長期出張者向けに企業が借りたり、地震被害で住めなくなった人が引越先を求めたり。需要はあるのに、空きがないそうです。「借りたい人がいるのに物件を紹介できないのが辛い」という不動産屋さんのコメントがありました。仙台市で「全壊認定」を受け、退避すべきマンションが100棟。でも、建て替えか売却か決まらず、移転先もなく、住民が住み続けているところも多いようです。民間の賃貸アパートを仮設住宅代わりに借りるのが人気だそうですが(二年間無料で入れる)、この場合は支援物資も情報も届きにくい。そして、津波被害や地震被害を受けたアパートなどもまだまだ補修中で数が不十分です。
 仮設住宅は、仙台市でも沿岸地域でも、場所によって、便利/不便の差、大きさの差、建築材など質の差、などが大きいようです。身近にもいろいろな話を聞きます。ある県南の仮設住宅は、年配のご夫婦二人にたいして4畳半一間。しかもそのうち畳を敷いてあるのはは2畳分だけ。仕事や学校があって寝に帰るだけの場所ならともかく、ご夫婦が一日過ごすにはあまりに狭いでしょう。
 沿岸地域で、人々は海や山の自然に囲まれ広い家に住んでいましたので、狭い仮設住宅や狭い民間のアパートに移るのはなかなか大変です。また、年を重ねても田舎では畑などすることがあるけれど、いきなり仙台に来てもすることがない。

 一時的な(?)仙台の賑わいが、地元企業を助けるのか、県外資本の流入がますます進んでいる裏返しなのか私にはわかりません。震災の前から、不況で地元企業の衰退が進み、仙台駅前にはロフトやパルコなどができ、街中はチェーン店の喫茶店ばかりになり、森ビルが商業地を買っていました(具体例を出しただけで個々の企業のことに詳しいわけでも非難しているわけでもありません)。噂レベルでは、地震直後に関西の業者が木材を買い占めたとか、いま県外のあやしいリフォーム会社が入ってきているとか、、、。

こぼれ話1:パレスチナ・オリーブの斜め向かいにあるビルで倒壊の危険があったのか、地震後しばらくビルの前の歩道や道路が封鎖されていました。その後、道路の封鎖は解けたのですが、そのビルは、いま、やっとエレベーターの補修工事中なのだそうです。それで、佐川急便のお兄さん、台車も使えず、荷物を階段で手で運んでいるそうです! 地道に(地味に)大変そうです、、、暑いのに。

こぼれ話2:とある沿岸地域で聞いた話。長年の習慣で、お金を銀行などに預けず、他の家族にも言わず、自分で現金を家にしっかりためこむ年配者も多かった。津波で1,000万円以上流されてしまった人もいたそうです、、、。


 全く話が変わって。中東の動きが気になりながら(さすがにパレスチナのニュースはチェックしつつ)、震災後、なかなか国際ニュースを見る気になりませんでしたが、やっとBBCのニュースチャンネルなどを見始めました。シリアは政府による弾圧で多くの死傷者も出て、心配な状況が続いています。しかし、自分自身にとって、311以後の仙台から世界をとらえ直すのは、まだ時間がかかりそうです。


この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=26


2011/05/28(土) 02:33|震災

チェルノブイリに思いをはせながら

  停電の中、乾電池を入れたラジオから福島原発の最初の爆発のニュースを聞いたときに頭をよぎったのは「チェルノブイリ原発から100km圏内なんて十分汚染地域だ」ということでした(仙台は福島原発から95km)。でも、本当に、チェルノブイリ周辺に住んでいる人々のように、長期間にわたって放射能汚染した水・空気・食物とともに生活することになろうとは具体的には想像できていませんでした。5月24日の原子力委員会でさえチェルノブイリ原発事故後の土壌汚染状況と福島県の土壌汚染の比較をしています。宮城県は相変わらず調査されていませんが(宮城県の丸森町の南部は、隣接する福島県伊達市や相馬市の一部と同じ汚染濃度が推測されています)。
 基準値(目安)超えのものは多くないとはいえ(調査した範囲での)宮城県内全域の牧草から放射性物質が検出されているように、身の回りのものは多かれ少なかれ汚染されているわけです。仙台でもセシウムだけでなく半減期の短いヨウ素も検出されており、まだ新しく放射性物質が飛んできていることが推測されます。東日本に住んでいる限り放射性物質を完全に避けることはできないわけですし、いままでおいしい野菜を届けてくださっているところからの野菜は迷わず子どもも一緒に食べていますが、スーパーなどで買い物をするときはどう選ぶか悩みます。基準値は安全値ではなく、我慢値なのだということを実感します。
 ここに来て、原発事故に対する仙台の雰囲気が少し変わったと思います。子どもを持つ保護者が学校や教育委員会に直接問い合わせたりしています。また、「放射線被曝から子どもを守る会」や「5年後、10年後の子どもが健やかに育つ会〜仙台支部〜」ができて、情報交換をしたり、仙台市教育委員会に要請書を出したりということが始まっています。仙台では学校ごとの測定も何も行われていませんので、まず、安心して暮らせるよう情報公開・共有を求めています。プールの掃除も懸念材料でしたが、息子の学校は既に3年生が清掃をしてしまったそうです、、、。

 もう新しく飛んできている量は少ないだろうから降り積もったセシウムをどかすだけと思い、他いろいろ考慮した上で子どもをGWで仙台に戻しましたが、結果として読みが甘かったわけで、子どもの再避難についてすごく悩んでいます(自宅敷地内でのホットスポットは倉庫の雨樋の下で1.5マイクロシーベルトありました。自宅周囲の放射線量は0.13前後です。機械はウクライナ製、、、この機械の警戒値は0.3なので、側溝などを測るとピーピー鳴ります)。子どもの健康被害のリスクを考えるならば遠くへ行った方がいい。でも7歳の子をまた親と離すにはためらいがあります。私が移住する決断もつきません。残るからには、ここでみんなで顔を合わせ「地震・津波・原発事故」のトリプル災害の中で暮らして行く方法を探していかなければなりません。仙台でさえ、です。これまでの当たり前の生活が終わり、放射能とともに生きていく生活が始まったことにぼう然とします。

 低線量被曝による健康被害リスクはあくまで確率の問題です。子どもがみんな病気になるわけではありません。おそらく、ガンの確率が少し上がったり、ぶらぶら病のような病気の人が少し出てくる「だけ」。
 原発事故がなくても、若くしてガンで亡くなる人がいます。ブログに書くかどうか迷いましたが、私は数年前に、妹をガンで亡くしています。32歳でした。その辛さを知る人が1人でも増えるのは悲しいことです。それを何度も考えてしまいます。

この記事のURL:http://himar-diary.jugem.jp/?eid=25



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